延暦寺西塔

釈迦堂と担い堂

西塔(さいとう)は、第二世天台座主によって開かれた一帯。比叡山最古の釈迦堂や左右同じ堂が並ぶ担い堂などが建つ。また、最澄の廟所がある浄土院や、法然が修行した黒谷青龍寺が、少し離れた場所に佇んでいる。

延暦寺西塔

延暦寺西塔について

基本情報

山号寺号
比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)
別称
比叡山、叡山(えいざん)
宗派
天台宗
寺格
総本山
創建
788年(延暦七年)
開山
最澄 - 伝教大師。
本尊
薬師如来
札所
西国薬師四十九霊場49番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
山内シャトルバス西塔バス停下車、東塔地区から徒歩20分
住所
滋賀県 大津市坂本本町(※撮影後記参照)
サイト
比叡山延暦寺

概要

西塔(さいとう)は、東塔(とうどう)から北へ1キロほどのところにあり、二世天台座主の円澄によって開かれた。 現存する比叡山最古の堂宇の釈迦堂をはじめ、弁慶が左右同形の堂を天秤棒のように担ぎ上げたといわれる「にない堂」などが国の重文に指定されている。 また、最澄の御廟所がある比叡山で最も神聖な場所といわれる浄土院や、法然が修行した黒谷青龍寺などの霊跡が、少し離れた場所に佇んでいる。 延暦寺は、1200年の不滅の法灯が続く最澄により開かれた天台宗総本山。 寺号よりも山号の比叡山、また叡山と呼ばれることも多く、かつては北嶺とも称された。 また、日蓮宗の日蓮、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、時宗の 一遍など、新仏教の担い手を輩出したことから日本仏教の母山とも称される。 標高848mの比叡山一帯に東塔地区をはじめ、西塔地区、横川地区と山麓の坂本地区を境内とし、三塔十六谷二別所の広大な大寺院である。 住職は、天台座主と呼ばれ、末寺を統括している。 「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されている。 現在も天台の思想に基づいた「千日回峰行」や「12年篭山行」などの厳しい修行が続けられている。

見所

国重要文化財
転法輪堂(釈迦堂) - 鎌倉時代の造営。西塔の本堂で、本尊の釈迦如来像が安置されている。比叡山最古の堂宇で、信長による焼き討ち焼失後、三井寺園城寺(弥勒堂)の金堂を豊臣秀吉が移築させた。
木造釈迦如来立像 - 釈迦堂本尊。最澄の自作といわれる秘仏で、御前立が置かれている。
常行堂及び法華堂(担い堂) - 1595年の再建。同形の堂が左右に並び、左が阿弥陀如来を本尊とする常行堂で、右が普賢菩薩を本尊とする法華堂。比叡山の僧兵だった弁慶が、天秤棒のように両堂の渡廊に肩を入れ担ぎ上げた故事から「にない堂」と呼ばれる。
瑠璃堂 - 室町時代末の再建。西塔から黒谷へ向かう道中の北谷にある。薬師瑠璃光如来が安置されている。信長の焼き討ちを遁れた唯一の堂といわれる。
相輪 - 芯柱に相輪(九輪)を付けインドの仏塔の原形に近い塔。法華経や大日経などを収蔵。
木造維摩居士坐像 - 黒谷青龍寺旧蔵。
木造慈恵大師坐像 - 黒谷青龍寺旧蔵。
観光名所
椿堂 - 本尊の十一面観音像が安置されている。90日間座禅する常坐三昧道場。椿の木が植えられている。
六所社 - 相輪塔近くにある宝幢院の鎮守社。
恵亮堂(えりょうどう) - 江戸時代初期の創建。西塔宝幢院の検校となり、妙法院を創建した恵亮和尚像を本尊として祀っている。
親鸞聖人ご修行の地の碑 - 親鸞聖人が、この地にあった聖光院で念仏三昧の修行をした。「聖光院跡の碑」「親鸞聖人旧跡の碑」もある。
円戒国師寿塔 - 円戒国師が、黒谷青龍寺に隠棲される前に建てられた寿塔(生前墓)。
箕淵弁財天 - 比叡山三弁財天の一つ。
真盛上人修学之地の石碑 - 西塔南谷に南上坊があり、後に真乗院が建立されたといわれる。
米田雄郎の歌碑 - 法華堂の近くに立つ。
居士林 - 一般参拝者が写経や座禅を行する研修道場。
浄土院 - 西塔から徒歩10分のところにある。最澄の廟がある比叡山で最も神聖な場所で、12年籠山修行の僧が生理現象以外は不眠不休で籠る。
黒谷青龍寺 - 西塔地区から1.5キロほど離れた黒谷にあり、法然が修行した聖地。天台宗であるが、浄土宗総本山の知恩院が管理している。京都の黒谷(金戒光明寺)の元となった場所で、元黒谷ともいわれる。

行事

4月下旬~5月上旬
さくら祭「萌桜会」 - 西塔駐車場付近に数多くのサトザクラが植えられている。比叡山ドライブウェイの桜並木を含めると、約1000本以上の八重桜が花開く。
6月4日
長講会 - 浄土院にて。
10月頃
比叡山スタンプラリー

歴史

820年
最澄は、相輪とうを建立した。
825年
円澄と延秀が、法華堂を建立した。
834年
二代座主 円澄が釈迦堂を建立し、空海を招き供養会が催された。
893年
静観と顕祚が、常行堂を創建した。
923年
増命は、西塔院(宝塔院)を創建した。
1150年
法然は、18歳のとき北谷の黒谷青龍寺の叡空の門に入り、43歳での浄土宗開宗に至るまで経典探求の地とした。
1166~1167年
東塔と西塔の抗争「赤袴の騒動」が起こった。
1571年
浅井・朝倉両軍をかくまったこと等が発端となり、織田信長の比叡山焼き討ちによって全山が焼失。
1595年
豊臣秀吉が、三井寺園城寺(弥勒堂)の金堂を移築させ釈迦堂とし、担い堂も再建した。
昭和42年
比叡山の好意で、浄土宗知恩院が、法然の霊跡霊蹟である黒谷青龍寺を青少年修練道場として再興した。
平成7年
台風により相輪とうが倒壊した。
平成10年
台風により釈迦堂栩葺屋根が大きく損傷した。

撮影後記

延暦寺といっても、一筒の建造物があるわけではなく、比叡山にある500ヘクタールほどの境内地と麓の坂本に点在する数百の堂塔の総称です。 そして、比叡山の山内を地域別に、東を「東塔(とうどう)」、西を「西塔(さいとう)」、北を「横川(よかわ)」の三つに区分しています。 これを三塔と言い、西塔は中心エリアの東塔に比較的近いのですが、東塔に比べればとても静かです。
 アクセスする場合は、東塔地域からシャトルバスにて5分ほど。 徒歩でも、東塔の阿弥陀堂から20分ほどですが、途中に山王院や浄土院があるので、歩いてお参りするのもよいでしょう。
 なお、比叡山延暦寺は近江ですが、世界遺産で「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されているし、歴史的経緯からも京都特集に組み込みました。

更新履歴

2012年2月25日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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