豊国廟

豊臣秀吉の廟所

阿弥陀ケ峰にある豊臣秀吉の廟所で、拝殿から山頂の廟所まで500段以上の石段が続く。この場所は豊国神社の飛地境内で旧鎮座地にあたる。徳川家康によって廃されたが、明治になり再建され墳上に五輪塔が建てられた。

豊国廟

豊国廟について

基本情報

廟名
豊国廟(ほうこくびょう)
創建
1598年(慶長3年)
主祭神
豊臣秀吉
社格
別格官幣社、別表神社 - 豊国神社。
例祭
4月18日
駐車場
有料駐車場あり
交通機関
東山七条バス停徒歩15分
住所
京都府京都市東山区今熊野北日吉町

概要

標高200mの阿弥陀ケ峰にある豊臣秀吉の廟所。 豊国神社の飛地境内で、旧鎮座地である。 拝殿から山頂の廟所まで500段以上の石段が続く。 豊臣秀吉が伏見城で死去すると、遺命により、すぐさま遺骸が方広寺近くの阿弥陀ケ峰に葬られ、山頂に廟が山麓に社殿が建立された。 その後、豊臣宗家が徳川家康によって滅亡させられると、豊国神社及び豊国廟も廃されたが、明治になり豊国神社が再興され、秀吉300年忌に際して廟宇も再建され、墳上に五輪塔が建てられた。

見所

観光名所
五輪塔 - 明治30年の再建。豊臣秀吉の廟所(豊国廟)。阿弥陀ケ峯の山頂に建つ高さ10mの石塔。
太閤坦(たいこうだいら) - 豊国神社の旧鎮座地。京都女子大学への坂道「女坂」を登っていったところに位置する。
拝殿 太閤坦にある。ここから約500段の石段が続く。
神門 -石段途中にある。

祭事

4月18日
豊国廟例祭 - 表千家、裏千家が交替での家元奉仕による献茶が行われる。

歴史

1598年
豊臣秀吉が伏見城で死去。遺命により、すぐさま遺骸が方広寺近くの阿弥陀ケ峰に葬られ、山頂に廟が山麓に社殿が建立された。
1599年
後陽成天皇から正一位豊国大明神の神階と神号を賜り、遷宮式が行われ、以後、毎年盛大な祭礼(豊国祭)が執り行われた。
1615年
大坂夏の陣で豊臣宗家が徳川家康によって滅亡させられると、社殿及び豊国廟も廃された。
明治13年
社殿が、方広寺大仏殿跡地の現在地に豊国神社として再建された。
明治30年
豊臣秀吉の300年忌に際して、廟宇が再建され、墳上に五輪塔が建てられた。

撮影後記

 東山七条から京都女子大学へ延びる坂道(女坂というそうです)をひたすら登っていったところにあります。 この坂は豊国廟の参道だったところで、今では途中に新日吉神宮が鎮座していますが、これは家康が豊国廟の参道を塞ぐようにわざわざ豊国廟前に移したからです。 桜の季節は、とっても綺麗な桜並木になるところです。
 京都女子大を過ぎると有料駐車場があり、時間制ではなく1回500円なので、たまに利用させてもらいます。 東山のあたりは、駐車料金がべらぼうに高いですからね。
 さて、太閤秀吉さんの廟所ですが、体力に自信のない方はきついかもしれません。 結構ありますよ、500段の階段って。 ちなみに、せっかく廟所まで登っても視界は開けません。

更新履歴

2012年6月23日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを祇園・東山から移動しました。

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