光悦寺

本阿弥光悦

1656年創建の日蓮宗寺院。芸術家・本阿弥光悦が、徳川家康から鷹峯に土地を与えられ、そこに芸術村を築いたのが起源である。境内には光悦が晩年を過ごした大虚庵をはじめとする茶室が復元され散在している。

光悦寺

光悦寺について

撮影後記

 ここは鷹峰三山を望む景勝地にあり、「寛永の三筆」と称された本阿弥光悦の一族や、工芸職人が移り住み芸術の花を咲かせた場所。 鷹峯といえば、京都でもハイソな雰囲気の場所ですが、当時は辻斬り追い剥ぎの出没するような場所だったそうです。 まぁ、封建時代なら洛外みなそんな場所だったと想像もできますが。 というわけで、広大な露地庭という感じで、お寺という雰囲気はあまりありません。
 毎年光悦寺で11月に行われる茶会「光悦会」があります。 東京の大師会に並ぶ京都を代表するお茶会です。 茶道具がウン千万円とか、お茶代だけでウン万円とか聞きますが、拝観料は、世界遺産以外の京都のお寺にしては割安の300円なとこがいいです。 若い女性が独りで拝観している姿もよく目にしますね。 住職さんとお話する機会があって、テレビ局の取材も御遠慮しているとか。 静かなお寺で気に入っています。

概要・歴史

山号を大虚山とする1656年創建の日蓮宗寺院。 開山は日慈、本尊は十界曼荼羅である。 1615年、芸術家・本阿弥光悦が、徳川家康から鷹峯に9万坪の土地を与えられ、一族や工匠などと移り住み芸術村を築く。 そこに、本阿弥家の先祖供養のため位牌堂を建てたのが起源である。 1637年、本阿弥光悦が死去。 1656年、本法寺十二世の日慈が開山となり、日蓮宗の寺院となった。 境内には光悦が晩年を過ごしたとされる大虚庵をはじめ、三巴亭、了寂軒、徳友庵、本阿弥庵、騎牛庵、自得庵の合計7つの茶室が点在し、庫裏に接して妙秀庵がある。 これらはいずれも大正時代以降の建築である。

住所: 京都市北区 鷹峯光悦町29

更新履歴

2011年2月22日
初版をアップロードしました。
2011年6月7日
ギャラリーに作品を1点追加しました。
2012年1月22日
ギャラリーに作品を6点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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