広沢池

池干し

嵯峨野にある池周1.2kmの灌漑用溜池。平安時代、遍照寺の伽藍に組み込まれ、観月の名所であった。お盆の五山送り火の鳥居形が水面に浮かぶ灯籠流し、師走の「池干し」「鯉揚げ」は、嵯峨野の風物詩となっている。

広沢池

広沢池について

基本情報

名称
広沢池(ひろさわのいけ)
別称
遍照寺池(へんしょうじのいけ)
指定
歴史的風土特別保存地区、ため池百選
駐車場
駐車場なし
交通機関
広沢池バス停・佛大広沢校前バス停すぐ
所在地
京都府京都市右京区嵯峨広沢町

概要

嵯峨野にある面積13ヘクタール、池周1.2kmほどの灌漑用ため池で、奈良県の「猿沢の池」、大分県の「初沢の池」とともに日本三沢の一つにも数えられる。 また、農林水産省の「ため池百選」にも選定されている。 池の起源については、土木技術に優れた秦氏が、大堰川の水が流れ込む沼地を開墾した際に溜池として築造したとも、平安時代に宇多天皇の孫 寛朝が、遍照寺建立の際、本堂の南に「遍照寺池」を築造したのが起源とも伝わる。 毎年お盆には、五山送り火の鳥居形と燈籠が水面に浮かぶ池に、五色の流し灯籠を流す精霊送りが行われる。 12月になると、底に沈殿したヘドロを分解する目的で池の水を抜く「池干し(池ざらい)」をし、コイやフナを収穫する「鯉揚げ」が行われ、師走の風物詩となっている。

見所

市史跡
遍照寺旧境内建物跡 - 広沢池の西北岸一帯の遍照寺遺構。平成3年の調査で、一間四面の御堂の基壇が発掘された。私有地で立入禁止。
観光名所
観音島 - 西岸にある大小2つの島。大島には、1641年の作で鳴滝五智山より遷された石造千手観音像が立つ。小島には弁財天堂が祀られている。
児神社(ちごじんじゃ) - 広沢池西南に鎮座。遍照寺開山の寛朝の侍児が祀られている。寛朝没後、残された侍児が悲観し広沢池に投身したと伝わる
松尾芭蕉の碑 - 南岸にある。「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」と観月の句を詠んだ。

歴史

8世紀
土木技術に優れた秦氏が、大堰川の水が流れ込む沼地を開墾した際に、溜池として築造したともいわれる。
989年
宇多天皇の孫 寛朝が、円融天皇の御願により、広沢池北湖畔の山荘を遍照寺とした際、本堂の南に「遍照寺池」を築造したと伝わる。
鎌倉時代
遍照寺は、広沢池湖畔に広大な伽藍を有していたが、後宇多天皇の頃から微衰。
応仁の乱
兵火で遍照寺が灰燼に帰した。
1633年
仁和寺の内意により、遍照寺本尊や赤不動を池裏の現在寺地の草堂に移し、かつての当寺の名跡を伝えた。
明治時代
広沢池が、遍照寺住職が中心となり修復された。
昭和30年
清滝川から灌漑用水をトンネルで導く「嵯峨用水」が池にも導かれた。
昭和44年
古都保存法の歴史的風土保存区域に指定された。
平成22年
農林水産省の「ため池百選」に選定された。

撮影後記

 大沢池の東にある池で、この付近は歴史的風土特別保存地区に指定され、嵯峨野らしい長閑な田畑が残っています。 池の西側の農地は、昭和30年に開削された嵯峨用水が潤し、池の南に残る農地は今も池の水を利用し京野菜などを生産しています。
 また、映画やドラマのロケ地として、よく撮影されているようです。 どこの撮影クルーかは知りませんが、湖畔の道路に停車していたのですが、邪魔だから車を移動して欲しい旨を高圧的に言われ、移動した後、池畔道路の桜並木の枝葉をボキボキ折りながら、でっかいロケ車が進入してきて唖然としましたこともありました。

更新履歴

2012年8月15日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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