大慈院

精進鉄鉢料理「泉仙」

1585年創建の臨済宗大徳寺の塔頭で、精進鉄鉢料理「泉仙」が営業されている。寛永年間初期、寮舎に「碧玉庵」が創建され、初代柳川藩主 立花宗茂が壇越となった。廃仏毀釈で統合され、柳川藩の菩提寺も引き継がれた。

大慈院

大慈院について

基本情報

寺号
大慈院(だいじいん)
宗派
臨済宗大徳寺派
寺格
大徳寺塔頭
創建
1585年(天正十三年)
開山
天叔宗眼
開基
見性院(大友宗麟の娘)、安養院(織田信長の姉)
駐車場
有料駐車場あり - 大徳寺駐車場利用。
交通機関
大徳寺バス停徒歩6分
住所
京都府京都市北区紫野大徳寺町4-1
サイト
泉仙

概要

臨済宗大本山大徳寺の塔頭のひとつで、境内奥で鉄鉢精進料理「泉仙」が営業されている。 1585年(天正13年)、大友宗麟の姉 見性院等が天叔宗眼を請じて創建された。 寛永年間初期、大慈院の寮舎であった碧庵を改め、天瑞寺(現在の龍翔寺)の西に「碧玉庵」が創建された。 筑後柳河藩初代藩主 立花宗茂が壇越となり、柳川藩の菩提寺となった。 明治の廃仏毀釈で碧玉庵が廃寺となり大慈院に統合され、立花宗茂の位牌や墓も引き継がれた。

見所

観光名所
方丈(本堂) - 扁額は創建当時のもの。前庭にある江戸時代の紫式部碑は、かつて碧玉庵に建立されていたもの。
書院 - 長谷川等伯筆の花鳥山水で飾られていたが、明治期に散逸した。
茶室 頓庵 - 昭和3年に実業家 山口玄洞が芦屋より移し、表千家12代敬翁宗左(惺斎)により露地、一間床、琵琶床が新付された。裏千家13代鉄中宗室(圓能斎)好みの四畳半。
墓地 - 立花宗茂(柳川藩初代)、 藤村庸軒(千宗旦の直弟子で庸軒流茶道の開祖)の墓。
泉仙 - 境内奥で営業している鉄鉢精進料理店。

行事

毎週日曜日
日曜坐禅
毎月18日
観音講

歴史

1585年
大友宗麟の姉 見性院らが天叔宗眼を請じて創建された。
1624~1645年
寛永年間初期、大慈院の寮舎であった碧庵を改め、「碧玉庵」が創建された。
1830年
文政の大地震により倒壊した。
1847年
古材により縮小して再建された。
明治維新
廃仏毀釈で碧玉庵が廃寺となり、大慈院に統合された。
昭和38年
境内で「泉仙」が営業を開始した。

撮影後記

 巨大迷路のような大徳寺山内の奥まった場所に位置しているために、見過ごしがちな塔頭です。 僧堂の方は公開されていませんが、境内の奥の方にある鉄鉢精進料理店の泉仙(いずせん)は入店できます。 僧が食物を受ける際に用いた鉄製の鉢に、肉類魚介類を使用しない季節の精進料理が盛られます。 他店舗としては、大徳寺門前の「紫野店」、嵯峨鳥居本にある「嵯峨野店」があり、JR京都駅の伊勢丹デパ地下でも、お弁当や御惣菜が売られています。

更新履歴

2015年2月28日
初版をアップロードしました。

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