常寂光寺

花の寺

寺域が小倉山中腹を占める1596年創建の日蓮宗寺院。幽雅閑寂で、常寂光土に遊ぶような趣があることから「常寂光寺」と号されたという。 秋は全山紅葉に包まれ、四季折々の花々が咲く「花の寺」として人気がある。

常寂光寺

常寂光寺について

基本情報

山号寺号
小倉山常寂光寺(おぐらざんじょうじゃっこうじ)
別称
軒端寺(のきばじ)
宗派
日蓮宗
創建
1596年(慶長元年)
開山
日禎(にっしん)
本尊
十界大曼荼羅
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
嵯峨小学校前バス停徒歩13分、京福嵐山駅徒歩25分
住所
京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3
サイト
常寂光寺

概要

寺域が百人一首で名高い小倉山中腹を占める日蓮宗寺院。 1596年、本圀寺第16世 日禎が、豪商角倉家から小倉山麓の地の寄進を受け隠棲した庵が由来。 幽雅閑寂で、天台四土にいう常寂光土に遊ぶような趣があることから「常寂光寺」と号されたという。 平安時代には、藤原定家の小倉山荘跡があったと伝わり、定家の歌「忍ばれむものともなしに小倉山軒端の松ぞなれてひさしき」にちなみ、「軒端寺」とも称された。 国の重文である多宝塔付近からは嵯峨野を一望できる。 春は桜、夏は青紅葉の蝉時雨、秋は全山紅葉に包まれ、冬は盆梅が陳列される。 四季折々の花々が咲く「花の寺」として人気がある。

見所

国重要文化財
多宝塔 - 1620年の建立。並尊閣といい、前面に霊元天皇の勅額を掲げる。
観光名所
本堂 - 慶長年間(1596~1615年)、伏見桃山城客殿が移築されたもの。
仁王門 - 貞和年間(1345年~1350年)本圀寺客殿の南門として建立されたものを、1616年に移築。仁王門像は福井県小浜の長源寺から移され、運慶の作とも伝わる。
妙見堂 - 能勢妙見菩薩を分祀。慶長年間 (1596年~1610年)保津川洪水の際、上流から流れついた妙見菩薩像を、享和年間 (1801年~1803年)当寺に遷座された。
山門 - 江戸後期の再建。
鐘楼 - 1641年の建立。梵鐘は第二次世界大戦中徴資に遭い、現在の梵鐘は昭和48年の鋳造。
歌仙祠 - 藤原定家、藤原家隆の木像を安置。
時雨亭跡の石碑 - 藤原定家が小倉百人一首を編纂した小倉山の山荘跡とされる候補地のひとつ。

行事

8月16日
大文字送り火望拝
12月31日
除夜鐘打公開

歴史

平安時代
藤原定家の小倉山荘跡があったと伝わる。
1595年
本圀寺第16世 日禎は、豊臣秀吉の方広寺大仏殿千僧供養に不受不施の教義を守って出仕を拒否した。
1596年
日禎は本圀寺を去り、豪商角倉家から小倉山麓の地の寄進を受け隠棲した庵が由来。
1596~1623年
慶長・元和年間、日禎に帰依した角倉了以や小早川秀秋の寄進により堂塔伽藍が整備された。当初は軒端(のきば)寺ともいった。
1868年
禁門の変では、長州兵が天龍寺から当寺に逃れ、幕軍・薩摩軍は、山門脇の歓喜天堂に火を放ち本堂も焼こうとしたため、32世 日仁が絞首してこれを逃れた。

撮影後記

 二尊院と同じく小倉山の麓にあるお寺です。 公式ウェブサイトに「塀のない寺」と記載してありました。 そういえば、境内に塀がなかったですね。
 また、「花の寺」としても人気があります。 山内はもとより、船小屋前の展示場では、盆梅、牡丹、山アジサイ、蓮など、いつ来ても四季折々の花々で拝観者をもてなしてくれます。 殊に、錦秋の山内は眩いばかりに染め上がり、寺号に名前負けしない寺院ですね。

更新履歴

2013年1月9日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

常寂光寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野