小野郷

小野供御人の里

清滝川上流の地域で、もと葛野郡小野郷村。古くは小野氏の支配下にあり、供御人としての特権を有し「小野供御人の里」と称された。昭和23年の京都市編入で、小野、大森、杉阪、真弓を冠称する4地区に編成された。

小野郷

小野郷について

基本情報

名称
小野郷(おのごう)
交通機関
小野:JRバス高雄京北線利用
大森:JRバス高雄京北線小野郷下ノ町バス停徒歩40分
杉阪:JRバス高雄京北線杉阪口バス停徒歩20分
真弓:JRバス高雄京北線杉阪口バス停徒歩30分
所在地
京都府京都市北区 小野・大森・杉阪・真弓
サイト
北山三村

概要

京都市北区の清滝川上流の地域で、かつては小野郷村や小野庄と呼ばれていた。 葛野郡小野郷村には、小野、大森、杉坂、真弓の大字があり、昭和23年に京都市に編入され、「小野」を冠称する7町、「大森」を冠称する9町、「杉阪」を冠称する5町、「真弓」を冠称する2町に編成された。(杉阪、真弓は中川学区) 古くは古代豪族小野氏の支配下にあり、朝廷の主殿寮(律令制において、内裏における消耗品の管理供給を司る宮内省に属する機関)の領地であった。 京都御所への林産物献上によって供御人としての特権を有し、「小野供御人の里」と称された。 明治35年に周山街道が開通するまでは、山国から大森、真弓、杉阪を経由して鷹ヶ峰へと通じる「京道」が利用され、薪炭が丹波地方の諸産物の集荷地であった鷹ヶ峰の中継問屋へと運ばれた。

見所

市文化財
日下部(式部)家住宅 附普請願絵図 - 小野上ノ町にある旧家。明和9年(1772年)の建築。
木造薬師如来坐像(大森 安楽寺) - 平安時代の作。
木造如来形立像(大森 安楽寺) - 平安時代の作。
木造僧形坐像(大森 安楽寺) - 平安時代の作。
木造天部形立像(大森 安楽寺) - 平安時代の作。
木造菩薩立像(小野 龍澤寺) - 平安時代の作。
木造阿弥陀如来立像 附像内納入品(真弓 清水寺) - 鎌倉時代の作。
市登録文化財
日下部(大助)家住宅 - 小野上ノ町にある旧家。明治27年に主屋や旧六畳蔵が建築され、大正9年に新座敷が増築された。
椋本家住宅 - 大森東町にある旧家。北山型の主屋は嘉永4年(1851年)の再建。米蔵は天保15年(1844年)の建築。
今北家文書 - 大森西町の今北家に伝わる江戸時代の文書852点。
観光名所
小野地区 - 地域の中心で、源氏物語に登場する夕霧が恋に落ちたという「落葉姫」を祀る岩戸落葉神社が鎮座する。
大森地区 - 清滝川の源流域で、大森リゾートキャンプ場がある。文徳天皇第一皇子である惟喬親王(小野宮)にまつわる伝説も残る。
杉阪地区 - 京見峠を越えて鷹ヶ峰へと至る交通の要所であった。その名の通り台杉の植栽が数多くみられ、小野道風ゆかりの道風神社が鎮座する。
真弓地区 - 西の鯖街道筋にある15戸ほどの集落で、坂上田村麻呂がこの地の真弓の木で弓を作ったと伝わる。

撮影後記

 山城国には古代豪族小野氏ゆかりの地が三カ所あります。 ひとつは愛宕郡小野郷(現在の左京区上高野一帯)で、ここには小野妹子の子である小野毛人の墓があります。 二つ目は、小野小町ゆかりの随心院のある宇治郡小野郷(現在の山科区小野)で、「山科の小野」とも。 そして三つ目が、ここで紹介する葛野郡小野庄(現在の北区小野郷)で、「北山の小野」とも云われます。
 なお、中川学区の杉阪と真弓の両地区も「小野郷紀行」で紹介しています。

更新履歴

2015年9月22日
初版をアップロードしました。

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