遍照寺

広沢池灯籠流し

989年創建の真言宗御室派の寺院で、国重要文化財の不動明王像等を有す。かつては、広沢池湖畔に大伽藍を有する寺院であった。毎年お盆には、広沢池灯籠流しが行われ、池一面に五色の流し灯籠が水面に浮かぶ。

遍照寺

遍照寺について

基本情報

山号寺号
広沢山遍照寺(ひろさわざんへんじょうじ)
別称
広沢不動尊、広沢の赤不動さん
宗派
真言宗御室派
寺格
準別格本山
創建
989年(永祚元年)
開山
寛朝(かんちょう) - 宇多天皇の孫。
本尊
十一面観世音菩薩
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
JR嵯峨嵐山駅徒歩15分、広沢御所ノ内町バス停下車徒歩4分
住所
京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町14
サイト
遍照寺

概要

広沢池近くに建つ真言宗御室派の寺院。 989年、宇多天皇の孫 寛朝が、円融天皇の御願により、広沢池北湖畔の山荘を寺院にしたのが由来。 かつては、広沢池湖畔に大伽藍を有する寺院で、真言宗広沢流の根本道場として興隆した。 鎌倉時代、後宇多天皇の頃から微衰し、応仁の乱で灰燼に帰した。 収蔵庫には、国重文の赤不動明王像と十一面観音像が安置されている。 「広沢の赤不動さん」と地元の人に親しまれ、交通安全や厄除けの後利益がある。 毎年お盆には、広沢池灯籠流しが行われ、池一面に五色の流し灯籠を流し、五山送り火の鳥居形と燈籠灯りが水面に浮かぶ。

見所

国重要文化財
木造不動明王坐像 - 通称「赤不動」。藤原時代の作で、定朝の父である康尚の念持仏。
木造十一面観音菩薩立像 - 本尊。藤原時代の作で、定朝の父である康尚の作。
市史跡
遍照寺旧境内建物跡 - 広沢池の西北岸一帯の遺構。私有地で立入禁止。
観光名所
護摩堂(本堂) - 昭和の再建。
客殿 - 平成9年建立。
冨岡稲荷 - 遍照寺の北の稲荷古墳の上に立つ。

行事

毎月28日
不動護摩 - 護摩木に願い事を記し奉納。
4月29日
柴燈護摩供 - 春季大祭。
6月12日
開山忌
8月16日
広沢池灯籠流し - お盆の精霊送り。児神社(ちごじんじゃ)で受付。回向後、池に五色の流し灯籠を流す。五山送り火の鳥居形と燈籠が水面に浮かぶ。

歴史

989年
宇多天皇の孫 寛朝が、円融天皇の御願により、広沢池北湖畔の山荘を寺院にしたのが由来。
鎌倉時代
広沢池湖畔に広大な伽藍を有していたが、後宇多天皇の頃から微衰。
応仁の乱
兵火で灰燼に帰した。
1633年
仁和寺の内意により、本尊や赤不動を池裏の現在の場所の草堂に移し、かつての当寺の名跡を伝えた。
江戸時代後期
舜乗により復興された。

撮影後記

 現在は、広沢池の湖畔から少し離れた場所にありますが、かつては池の西北側にある嵯峨富士と云われる遍照寺山一帯に多宝塔や釣殿などが建ち、大覚寺に隣接するほどの大寺院だったそうです。 私は仏像にはそれほど興味はありませんが、太秦の西光寺を拝観したとき、住職さんが、仏像を見るなら遍照寺のことを薦めていたことを思い出しました。 国重文の一木造2躰の他にも、平安末期から鎌倉時代の仏像を多数収蔵しています。 観光地嵯峨野でも、観光寺院ではないので、仏像に興味のある方はお参りすると、ゆっくり拝見できてよいかもしれません。

更新履歴

2012年9月14日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

遍照寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野