地蔵院

椿寺

西大路一条にある浄土宗寺院。行基が摂津国に創建した「地蔵院」がはじまりと伝わる。本堂前には、五色に咲き分け、花弁がひとひらずつ散る珍種「五色八重散椿」があり、「椿寺」として広く親しまれている。

椿寺

椿寺について

基本情報

山号寺号
昆陽山地蔵院(こやざんじぞういん)
別称
椿寺(つばきでら)
宗派
浄土宗鎮西派
創建
726年(神亀三年)
開山
行基
開基
聖武天皇
本尊
阿弥陀如来
札所
洛陽三十三所観音霊場 第30番
駐車場
駐車場なし
交通機関
北野白梅町バス停徒歩5分
住所
京都府京都市北区大将軍川端町2

概要

西大路一条にある浄土宗寺院。 境内には、五色に咲き分け、花ごと落ちずに花弁がひとひらずつ散る「五色八重散椿」の珍種チリツバキがあり、「椿寺」として広く親しまれている。 加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰り、豊臣秀吉に献上し、北野大茶会で当寺に寄進された銘椿であったが、惜しくも昭和58年に枯死し、現在は樹齢120年ほどの二代目。 この寺は、729年、聖武天皇の勅願により、行基が摂津国に創建した「地蔵院」がはじまりと伝わる。 平安時代、衣笠山南麓に移され七堂伽藍が整備された。 明徳の乱(内野合戦)の兵火で伽藍を焼失したが、足利義満が金閣寺建立の余財で再建した。 その後、豊臣秀吉の命によって衣笠山南麓から現在地に移された。

見所

観光名所
本堂 - 本堂前には二代目五色八重散椿が植えられている。
書院 - 書院前庭には初代五色八重散椿が植えられていた。
地蔵堂 - 安置される地蔵菩薩は行基作と伝わり、背後にある板扉は北野天満宮にあった多宝塔の遺構とされる。
観音堂 - 洛陽三十三所観音霊場第30番札所となっている。
五色八重散椿 - 加藤清正が、朝鮮出兵の際に持ち帰り、豊臣秀吉に献上し、北野大茶会で宿坊となった当寺に寄進された。樹齢400年の初代は昭和58年に枯死し、現在は樹齢120年ほどの二代目。紅、白、桃、黄、絞りの五色に咲き分け、一般的なツバキと異なり花弁がひとひらずつ散る珍種。
天野屋利兵衛の墓 - 赤穂浪士の吉良邸討ち入りを陰で支援をしたと知られる天川屋儀兵衛のモデルとなった江戸商人。晩年に当寺に隠棲し、浪士の冥福を祈ったといわれる。毎年、討入りのあった12月14日に利兵衛の木像が公開される。
夜半亭巴人(早野巴人)の墓 - 江戸時代の俳人で与謝蕪村の師。

歴史

726年
寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基が、摂津国の昆陽野池(こやのいけ)のほとりに、自作の木造地蔵菩薩像を安置し「地蔵院」と号したのがはじまりと伝わる。
平安時代
衣笠山南麓に移され七堂伽藍が整備された。
1391年
明徳の乱(内野合戦)の兵火で伽藍を焼失。
室町時代
足利義満が、金閣寺建立の余財で再建した。
1589年
豊臣秀吉の命によって衣笠山南麓から現在地に移された。
1671年
八宗兼学から浄土宗に改められた。
昭和58年
初代の五色散椿が枯死した。

撮影後記

 北野天満宮の南側、北野白梅町にある小さなお寺です。 一昨年に同じ洛西カテゴリで「地蔵院」をアップしましたが、あちらは竹林が美しい「竹の寺」で、こちらは五色咲き分け散り椿で知られ「椿寺」と称されています。 なんでも、加藤清正が朝鮮出兵の際に蔚山城(うるざんじょう)から持ち帰ったそうです。 それが秀吉に献上され、北野大茶湯で天神さまから近いために宿坊となり、それが縁で境内に植えられたとのことです。 なお見たところ、京都市の天然記念物に指定されている柊野の五色八重散椿ほどには、五色に咲き分けていませんでした。

更新履歴

2012年7月21日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2015年2月25日
「洛西」カテゴリから移動しました。

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