伏見城

豊臣秀吉の隠居城

太閤秀吉が隠居所として築いた平山城で、「伏見桃山城」とも称される。豊臣期と徳川期にそれぞれ再建され、豊臣期は豪華な様式が伝わる。現在は、伏見桃山城運動公園として昭和39年築の模擬天守が建っている。

伏見桃山城

伏見桃山城について

基本情報

名称
伏見城(ふしみじょう)
別称
桃山城、伏見桃山城
築城年
1592年(文禄元年)
築城主
豊臣秀吉
城主
豊臣氏、徳川氏
城郭
梯郭式平山城
天守
不明 - 現天守は模擬天守5重6階。
駐車場
有料駐車場あり
交通機関
桃山駅徒歩15分
住所
京都府京都市伏見区桃山町大蔵45

概要

豊臣秀吉が伏見の地に築いた梯郭式平山城で、「桃山城」「伏見桃山城」とも称される。 伏見城は3度に渡って築城された。 最初の城は、捨丸(豊臣秀頼)が産まれ、大坂城を与えることを想定し、秀吉の隠居城として指月山伏見城が築かれた。 慶長伏見地震によって指月山伏見城が倒壊し、北東1kmに木幡山伏見城が築き直されることになった。 豊臣秀吉が木幡山伏見城にて死去すると、徳川家康は留守居役として入城し、関ヶ原の戦いで勝利した家康が伏見城を再建した。 その後、一国一城令により二条城があることから廃城とされた。 豊臣期の伏見城は、豪華な様式が伝わる。 現在は、伏見桃山城運動公園として昭和39年に建てられた5重6階の大天守と3重4階の小天守の模擬天守が建っている。

見所

宮内庁治定
伏見桃山陵 - 明治天皇陵墓で、伏見城本丸跡などの主郭部分。高さ6m、さざれ石葺の上円下方墳で、火葬にせず、天武天皇以前の古制に戻した。
市史跡
伏見城復元石垣 - 伏見桃山陵の参道にある伏見城石垣跡。
観光名所
天守閣 - 洛中洛外図を参考にして5重6階の大天守と3重4階の小天守を持つ模擬天守。昭和39年築の鉄筋コンクリート構造。
大手門 - 模擬大手門。昭和39年築の鉄筋コンクリート構造。
北堀公園 - 伏見城の外堀の遺構を利用した公園。

歴史

1591年
豊臣秀吉が、関白の位と聚楽第を豊臣秀次に譲った。
1592年
豊臣秀吉が、観月の名所と知られる指月の岡を散策し着工。文禄の役での肥前名護屋城にて、千利休好みの趣向で造らせるよう指示を出した。
1593年
隠居屋敷が完成。 捨丸(豊臣秀頼)が産まれ、大坂城を捨丸に与えることを想定し、隠居屋敷が大規模改修された。
1594年
普請奉行に佐久間政家が任命され、淀古城から天守や櫓が移築され、宇治川の流路を変え、巨椋池に街道を通す大規模な土木工事が行われた。
1595年
秀次事件が起き、破却された聚楽第からも移築された。
1596年
慶長伏見地震によって指月山伏見城が倒壊し、北東1kmの木幡山に新たな城が築き直されることになった。
1597年
木幡山伏見城が完成。
1598年
豊臣秀吉が伏見城にて死去し、遺言によって豊臣秀頼は伏見城から大坂城に移り、徳川家康は留守居役として入城。その後、徳川家康が大坂城に移ると、大名屋敷のほとんどが大阪に移転した。
1600年
徳川家康の家臣 鳥居元忠が伏見城を守っていたが、石田三成派の小早川秀秋、島津義弘連合軍に攻められ落城し、鳥居元忠以下800名が自刃し、床を血で染めた。(伏見城の戦い)
1601年
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が入城し、伏見城と二条城の再建を開始。
1602年
伏見城が再建され、大名屋敷が伏見城に戻ってきた。
1603年
徳川家康が、伏見城で征夷大将軍の宣下を受けた。
1605年
徳川家康は伏見城で朝鮮使節と会見し和議を成立する。本丸が完成し、徳川秀忠の将軍宣下が執り行われた。
1606年
駿府城の改築により、伏見城の作事も停止され、器材や屋敷が駿府城へ運ばれた。
1623年
一国一城令により二条城があることから廃城とされ、天守は二条城に、その他の建物は淀城や福山城などに移築された。
1688~1704年
伏見城跡には、元禄年間頃までに桃の木が植えられ「桃山」と称されるようになり、「桃山城」「伏見桃山城」とも称されるようになった。
明治時代
本丸跡などの主郭部分が、明治天皇陵(伏見桃山陵)とされた。
昭和39年
伏見城花畑跡に、遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、5重6階の大天守と3重4階の小天守の模擬天守が鉄筋コンクリート構造で造られた。
平成15年
遊園地が経営難で閉園し、無償で京都市に贈与され、伏見桃山城運動公園として整備された。

撮影後記

 現在でこそ城跡で見られる遺構は石垣くらいしか残っていませんが、市内各地の寺社に移築された伏見城の遺構は見ることができます。
 まず国宝は、豊国神社 唐門、西本願寺 唐門、醍醐寺三宝院 唐門の三つ。 全て城門の遺構です。 次に重要文化財は、御香宮神社 表門、南禅寺金地院 方丈、浄土院 養林庵書院、正伝寺 本堂、高台寺 表門、高台寺 霊屋(おたまや)、高台寺 茶室「時雨亭」、高台寺 茶室「傘亭」。 国の名勝は、高台寺圓徳院 北庭で、秀吉の良きパートナーだった北政所ねね終焉の地で、北政所化粧御殿の前庭を移したものです。 そして血天井はというと、養源院、源光庵、正伝寺、興聖寺、宝泉院で見られます。 これは、関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の攻防戦で、石田三成派に攻められ落城し、徳川方の鳥居元忠以下800名が自刃し、床を血で染めた大広間の床板を天井にしたものです。 ここで紹介した文化財以外にも、まだまだ各地の寺社に散在しており、広島の福山城の伏見櫓(重文)なども伏見城の櫓(やぐら)の遺構です。

更新履歴

2012年11月2日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

伏見城紀行のコメント

コメント欄

初めまして。
京都伏見の風景写真をネット上で探しておりましたこちらにたどり着きました。季節に応じた素敵な写真が多く大変興味を持ちました。こちらの画像をホームページTOP画像に使用することは可能なのでしょうか。

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