京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
豊臣秀吉が伏見の地に築いた梯郭式平山城で、「桃山城」「伏見桃山城」とも称される。 伏見城は3度に渡って築城された。 最初の城は、捨丸(豊臣秀頼)が産まれ、大坂城を与えることを想定し、秀吉の隠居城として指月山伏見城が築かれた。 慶長伏見地震によって指月山伏見城が倒壊し、北東1kmに木幡山伏見城が築き直されることになった。 豊臣秀吉が木幡山伏見城にて死去すると、徳川家康は留守居役として入城し、関ヶ原の戦いで勝利した家康が伏見城を再建した。 その後、一国一城令により二条城があることから廃城とされた。 豊臣期の伏見城は、豪華な様式が伝わる。 現在は、伏見桃山城運動公園として昭和39年に建てられた5重6階の大天守と3重4階の小天守の模擬天守が建っている。
現在でこそ城跡で見られる遺構は石垣くらいしか残っていませんが、市内各地の寺社に移築された伏見城の遺構は見ることができます。
まず国宝は、豊国神社 唐門、西本願寺 唐門、醍醐寺三宝院 唐門の三つ。
全て城門の遺構です。
次に重要文化財は、御香宮神社 表門、南禅寺金地院 方丈、浄土院 養林庵書院、正伝寺 本堂、高台寺 表門、高台寺 霊屋(おたまや)、高台寺 茶室「時雨亭」、高台寺 茶室「傘亭」。
国の名勝は、高台寺圓徳院 北庭で、秀吉の良きパートナーだった北政所ねね終焉の地で、北政所化粧御殿の前庭を移したものです。
そして血天井はというと、養源院、源光庵、正伝寺、興聖寺、宝泉院で見られます。
これは、関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の攻防戦で、石田三成派に攻められ落城し、徳川方の鳥居元忠以下800名が自刃し、床を血で染めた大広間の床板を天井にしたものです。
ここで紹介した文化財以外にも、まだまだ各地の寺社に散在しており、広島の福山城の伏見櫓(重文)なども伏見城の櫓(やぐら)の遺構です。
初めまして。
京都伏見の風景写真をネット上で探しておりましたこちらにたどり着きました。季節に応じた素敵な写真が多く大変興味を持ちました。こちらの画像をホームページTOP画像に使用することは可能なのでしょうか。
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はじめまして。
はい、可能でございます。
伏見の方も未公開の作品が多数ありますので、後ほど随時アップしていく予定です。
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