雙林寺と西行庵

歌人の隠棲地

805年に最澄が創建した天台宗の寺で、本堂に最澄自作という薬師如来(重文)を安置している。高台寺、東大谷、円山公園の造営に伴い、寺領が大幅に縮小された。かつて西行法師や頓阿などの歌人が庵住した地と伝わる。

雙林寺

雙林寺について

基本情報

山号寺号
金玉山雙林寺(きんぎょくざんそうりんじ)
別称
沙羅双樹林寺
宗派
天台宗
創建
805年(延暦24年)
開山
最澄
開基
桓武天皇
本尊
薬師如来
札所
京都十二薬師霊場会 第7番
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
祇園バス停徒歩9分
住所
京都府京都市東山区鷲尾町527
サイト
天台宗雙林寺

概要

金玉山と号する天台宗の寺である。 805年(延暦24年)、桓武天皇の勅願により尾張連定鑑(おわりのむらじじょうかん)が、最澄を請じて創建し、日本初の護摩祈祷道場となった。 その後、鳥羽天皇皇女の入寺もあって17の支院を有し興隆した。 応永年間(1384~1387年)に国阿上人が中興し、時宗国阿派の本山東山道場となった。 応仁の乱後衰え、明治時代の廃仏毀釈で塔頭が廃され、天台宗に復した。 かつては広大な寺領を誇っていたが、高台寺、東大谷、円山公園の造営に伴って寺領を献上した。 本堂には最澄自作という本尊薬師如来坐像(重文)を安置している。 また此の地には、西行法師や頓阿などの歌人が庵住したといわれ、西行は蔡華園院を営み、終焉の地であったと伝わる。 南西の飛地境内には西行堂や西行庵が建っている。

見所

国重要文化財
木造薬師如来坐像 - 平安時代前期の作。天台七仏薬師のひとつ。
観光名所
本堂 - 最澄自作という本尊薬師如来坐像、昭和42年に生駒山宝山寺より勧請された大聖歓喜天を安置。
地蔵堂 - 安置する地蔵菩薩は土中より明治5年に出現した。持病平癒地蔵尊として信仰を集める。
西行堂(花月庵) - 飛地境内で、西行が止住していた塔頭の蔡華園院跡地に、天正年間に建てられたもので、1731年に現在地に移築された。堂内に西行法師僧像、頓阿法師僧像を安置する。
西行庵(浄妙庵) - 西行庵の母屋にあたり、明治時代に大徳寺塔頭真珠庵の別院を移したもの。
西行庵(皆如庵) - 北野の久我別邸より移された桃山時代の茶室。円窓床と道安囲の点前座。

行事

3月中旬
西行忌 - 西行庵の名席「皆如庵」で茶会が行われる。

歴史

805年
桓武天皇の勅願により尾張連定鑑が、最澄を請じて創建し、日本初の護摩祈祷道場となった。
平安時代後期
鳥羽天皇皇女が入寺して以来「双林寺宮」と称され、17の支院を有し興隆した。
平安時代末期
西行が蔡華園院を営んだ。
南北朝時代
兵乱で微衰した。
1384~1387年
国阿が入寺し、時宗国阿派の本山東山道場となり中興された。
応仁の乱
兵火で荒廃した。
1584~1585年
豊臣秀吉が花見の宴を催し、本堂が再建された。
1605年
高台寺開山に伴い、寺領を献上した。
1653年
大谷祖廟(東大谷)の造営に伴い、寺領を献上した。
明治維新
廃仏毀釈で塔頭が廃され、再び天台宗に改宗した。
明治19年
円山公園の設営のため境内が上知された。
明治26年
富岡鉄斎が勧進文を書き、小文法師が浄財を募り、西行庵が再建された。
昭和2年
円山音楽堂の建設により境内がさらに縮小した。

撮影後記

 円山音楽堂の東隣にある寺で、「雙」は「双」の旧字体です。 現在は境内に石材店がある目立たない小寺となっていますが、以前は数万坪ともいわれる広大な寺領を誇っている大寺だったそうです。 円山公園の周辺にある長楽寺や安養寺などと同じく、檀越がいなくて御上に接収され、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわすといった訳です。

更新履歴

2015年2月7日
初版をアップロードしました。
2015年2月9日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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