勝持寺

西行桜と花の寺

小塩山の麓にある天台宗の古刹。謡曲「西行桜」の舞台として知られる。西行法師は出家の折、この地に草庵を結び、桜を植え吟愛したと伝わる。世人はその桜を「西行桜」と称し、寺を「花の寺」と呼ぶようになった。

勝持寺

勝持寺について

基本情報

山号寺号
小塩山勝持寺(おしおざんしょうじじ)
別称
花の寺
宗派
天台宗
創建
伝680年(白鳳八年)
開山
役小角(えんのおづの) - 通称、役行者(えんのぎょうじゃ)。
本尊
薬師如来
札所
西国薬師四十九霊場第42番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
阪急バス終点南春日町下車1.1km、市バス洛西高校前下車1.6km
住所
京都府京都市西京区大原野南春日町1194

概要

小塩山の麓、大原野神社の西側にある天台宗の古刹。 寺伝では、白鳳期に役行者の開基で、その後、最澄が再建したと伝わる。 謡曲の「西行桜」や「小塩」の舞台として知られる。 西行法師は出家の折、鏡石と姿見池に自分の姿を映しながら髪をおろし、この地に草庵を結び、一株の桜を植えて吟愛していたと伝わる。 世人はその桜を「西行桜」と称し、いつしか寺を「花の寺」と呼ぶようになった。 現在、西行桜は三代目、境内には100本のさくらが植えられている。 寺宝も見所で、瑠璃光殿には国の重要文化財に指定された仏像が安置されている。 また、小浜城主で豊臣秀吉に従った木下長嘯子 (ちょうしょうし) も、関ヶ原の戦いで失脚後、この寺域に隠棲し歌人となったという。

見所

国重要文化財
木造薬師如来坐像 - 鎌倉時代の本尊。左手の薬壺から右手で薬を摘み取る珍しい印相。
木造薬師如来坐像(胎内仏) - 平安時代前期作。本尊の胎内より発見された。
木造金剛力士立像 - 鎌倉時代作。当初、仁王門に安置されていた。
大原野千句連歌懐紙 - 細川幽斎筆。大原野千句連歌のとき記された。(京都国立博物館寄託)
観光名所
仁王門 - 参道の入口に建つ。応仁の乱の兵火を免れた当寺最古の建造物。
瑠璃光殿 - 重文などの仏像を安置する収蔵庫。
不動堂 - 諸病平癒の不動様として信仰されている。
西行桜 - 西行法師ゆかりのしだれ桜三代目。謡曲で御馴染。
冴野の沼 - 歌枕として知られる。
瀬和井の泉 - 歌枕として知られる。
鏡石 - 不動堂の前。西行が剃髪に用いたものとされる。
桜ヶ丘 - 桜と紅葉の名所。石垣上に客殿の高遠閣がある。

歴史

680年
天武天皇の勅命で役行者が創建したと伝わる。
791年
桓武天皇の勅命で、最澄により再建され、「小塩山大原寺(たいげんじ)」と称したと伝わる。
838年
仁明天皇の勅命で、塔頭四十九院を建立したと伝わる。
851年~854年
千観が、文徳天皇の帰依を得て伽藍を建立し、「大原院勝持寺」に改称したと伝わる。
1140年
西行法師が出家して庵を結んだと伝わる。
応仁の乱
仁王門を除き兵火で焼失。
1573~1592年
天正年間に再建された。
江戸時代
徳川綱吉の生母 桂昌院の帰依を受けた。

撮影後記

 「花の寺」として知られる勝持寺。 四季折々の花がたのしめる意味ではなく、ここでは花見の花、つまりサクラのこと。 春には、境内を埋め尽くすほどの桜が開きます。
 また、桜と同じくらいの楓も植えられ、秋になると真っ赤に染まります。 同じ西山の光明寺や善峯寺の紅葉名所に比べると静かなので、タクシーの運転手さんがお客さんを案内している姿を境内でよく見かけます。
 他にも、寺宝が充実していて、収蔵庫には国重文の仏像をはじめ、多数の仏像が安置されています。 平成8年までは、願徳寺の本尊である国宝「木造如意輪観音半跏像」も安置されていました。 仏像に興味がある方は、隣の願徳寺も拝観するといいでしょう。 さらに西行ゆかりの地を巡るならば、西行の永遠の女性 待賢門院の法金剛院、辞世の句が詠まれた西行庵、西行の墓とされる双林寺にも立ち寄るといいでしょう。

更新履歴

2011年10月29日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

勝持寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野