本圀寺

日蓮宗大本山

京都に2つある日蓮宗の大本山(霊跡寺院)で、六条門流の祖山である。日蓮が鎌倉松葉ヶ谷に草庵を結んだのが起源とされ、1345年に京都六条堀川に遷り、昭和44年に洛中から山科の現在地へ移転することとなった。

本圀寺

本圀寺について

基本情報

山号寺号
大光山本圀寺(だいこうざんほんこくじ)
宗派
日蓮宗
寺格
大本山(霊跡寺院)
創建
1253年(建長五年)
開山
日蓮
開基
日蓮
本尊
三宝尊
札所
洛中法華21ヶ寺
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
御陵駅徒歩15分
住所
京都府京都市山科区御陵大岩6

概要

京都に2つある日蓮宗の大本山(霊跡寺院)で、六条門流の祖山である。 1253年、日蓮聖人が鎌倉松葉ヶ谷に草庵を結んだのが起源とされ、1345年、第4世日静が光明天皇より京都六条堀川に寺地を賜り、鎌倉から遷って「本国寺」と改称した。 「東の祖山」久遠寺に対し、京都六条堀川に栄え「西の祖山」と称された。 江戸時代、徳川光圀から圀の一字を賜り、「本圀寺」と改称し、昭和44年に洛中から山科の現在地へ移転することとなった。

見所

国重要文化財
経蔵(輪蔵) - 内部に足利義政が寄進した一切経を納めた創建当初の八角形の輪蔵がある。
観光名所
本堂 - 昭和46年の再建。日朗、日印、日静、日伝が祀られている。
本師堂 - 日蓮持仏の釈迦尊が祀られている。
清正宮 - 加藤清正廟。清正の娘 搖林尼の建立。
鐘楼 - 黄金の大梵鐘は、豊臣秀吉の姉 日秀尼の寄進によるもの。鋳造当初は黄金ではなかった。
客殿 - 六条堀川の旧跡地より移築再建された。
書院 - 六条堀川の旧跡地より移築再建された。
山門 - 1592年、加藤清正により寄進された赤門。「開運門」と称される。
仁王門 - 平成15年の建立。黄金の仁王像が安置されている。

行事

1月13日
年頭会
2月24日
大荒行(星祭祈祷会)
6月24日
清正公大祭
10月13日
宗祖御会式
11月24日
清正公大祭

歴史

1253年
日蓮が鎌倉松葉ヶ谷に草庵を結んだ。
1345年
日静が光明天皇より京都六条堀川に寺地を賜り、鎌倉から遷って「本国寺」と改称した。
1398年
後小松天皇より勅願寺の綸旨を得た。
1536年
天文法華の乱で焼失し、堺の末寺成就寺に避難した。
1547年
六条堀川の旧地に再建された。
1568年
織田信長の支援によって再上洛を果たした将軍足利義昭の仮居所(六条御所)となった。
1569年
足利義昭が三好三人衆により襲撃され(本圀寺の変)、織田信長は将軍の居場所として二条城建立を決め、本国寺を解体して二条城の用材とした。
1591年
日重により求法檀林が開檀された。豊臣秀吉の命により、西本願寺造立のため寺地二町を割譲した。
1685年
徳川光圀から圀の一字を賜り、「本圀寺」と改称した。
1788年
天明の大火で経蔵を除く伽藍が焼失した。
1863年
本圀寺事件が起きた。
明治5年
学制発布により、求法檀林は廃檀した。
昭和44年
六条堀川から山科の現在地へ移転することになった。

撮影後記

 妙顕寺と共に、京都に2つある日蓮宗の大本山のひとつで、天智天皇陵の北側、琵琶湖疏水に添う山紫水明の地にあります。 六条堀川の旧跡地は広大なもので、五条通、七条通、堀川通、大宮通に囲まれた寺域で、現在の西本願寺も嘗ての本圀寺の寺領でした。 現在でも堀川五条一帯に旧塔頭十六院が残って、その名残を留めています。(勧持院、林昌院、了円院、智光院、瑞雲院、了光院、本妙院、智妙院、詮量院、松陽院、一音院、本實院、松林院、真如院、智了院、久成院)。

更新履歴

2015年1月10日
初版をアップロードしました。

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