大石神社

大石内蔵助

「忠臣蔵」の大石内蔵助を祀る神社。浪曲師 吉田奈良丸が、大石良雄が隠棲した山科に社を創立することを計画し、昭和10年に創建された。毎年12月14日、赤穂浪士討入りを再現した「山科義士まつり」が盛大に行われる。

大石神社

大石神社について

基本情報

社名
大石神社(おおいしじんじゃ)
創建
1935年(昭和十年)
主祭神
大石内蔵助良雄
旧社格
府社
例祭
4月14日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
大石神社前バス停すぐ
住所
京都府京都市山科区西野山桜ノ馬場町116
サイト
大石神社

概要

「仮名手本忠臣蔵」で名高い赤穂浪士 大石良雄(大石内蔵助)を主祭神とする神社。 赤穂城明け渡しの後、この地に隠棲して討ち入りの謀を巡らした良雄ゆかりの地である。 浪曲師 吉田大和之丞(2代目吉田奈良丸)が、良雄ゆかりの地に神社を創立することを計画し、昭和10年に創建された。 宝物殿には大石良雄をはじめ赤穂義士ゆかりの遺品、東映歴代大石内蔵助役の俳優写真などを展示している。 毎年12月14日、赤穂浪士の討入りを再現した「山科義士まつり」が行われ、四十七義士などの隊列が境内まで行進する。

見所

観光名所
本殿 - 昭和10年の建立。
拝殿 - 昭和10年の建立。
宝物殿 - 大石良雄の書、享保14年の浅野内匠頭長矩肖像画 義士四十七士図、東映歴代大石内蔵助役の俳優写真などを展示している。
義人社 - 天野屋利兵衛を祀る摂社。「天野屋利兵衛は、男でござる。」の名台詞で知られる。
大石桜 - 大石良雄隠棲の地に生育していたシダレザクラを昭和8年に移植し、昭和10年の鎮座にあたり御神木とし「大石桜」と命名した。

祭事

1月元旦
歳旦祭 - 初詣。
2月4日
自刃命日祭 - 吉良邸へ討入り本懐を遂げた後、義士たちは、細川家、松平家、毛利家、水野家にお預けとなり、翌年2月4日に各四家において切腹した。
4月第1日曜
さくら祭 - 御神木「大石桜」満開の境内で、武者小路家の木津宗隆若宗匠よる献茶式、お茶席、そば席、子供露店など花見の宴に饗じる。
4月14日
例祭
6月30日
夏越祓
7月最終日曜
大石公山科隠棲祭(夏祭) - 赤穂を離れた大石良雄が、旧暦6月28日に山科西野山の里に移住したことに因む。
12月14日
義挙大祭(義士祭) - 赤穂浪士の討入りを再現した「山科義士まつり」が行われ、四十七義士などの隊列が毘沙門堂から当寺に行進する。境内において献茶献花、浪曲、剣舞剣道が奉納される。
12月31日
大祓式

歴史

1701年
播州赤穂藩主 浅野長矩(浅野内匠頭)が、江戸城松の廊下において、吉良義央(吉良上野介)を斬り付けたことで浅野家断絶。家老 大石良雄(大石内蔵助)は、赤穂城明け渡しの後、親戚 進藤源四郎の世話でこの地に隠棲し、討ち入りの謀を巡らした。
1702年
大石内蔵助と赤穂浪士四十七士が、吉良邸を襲撃し主君の仇討ちを果たした。
1703年
大石内蔵助が切腹した。
昭和8年
浪曲師 吉田大和之丞(2代目吉田奈良丸)が、大石良雄ゆかりの地に神社を創建することを計画し、創立が許可された。
昭和10年
社殿が竣工して創建された。
昭和12年
府社に列せられた。

撮影後記

 大石神社は、兵庫県赤穂市にもありますね。 随分と昔に行ったことがあります。 江戸時代には幕府にはばかって、旧赤穂城内の大石邸内に密かに祀られていたそうです。 武士の時代から時代は下って、ようやく表立って顕彰することができる世となり、明治33年に赤穂の大石神社が創建され、次いで京都の大石神社が建立されています。 それぞれ県社と府社という高い社格が与えられました。
 ちなみに、境内にはポニーの花子ちゃんもいますので、参拝の折に可愛がってあげてください。

更新履歴

2015年3月10日
初版をアップロードしました。

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