大宮

旧大宮学区

北区の大宮・西賀茂の地域。嘗ての愛宕郡大宮村の御土居以北エリアで、旧大宮学区に相当する。平安時代には氷室地区から禁裏に氷が運ばれ、大宮郷は賀茂六郷のひとつであった。お盆には「船形送り火」が行われる。

大宮

大宮について

基本情報

名称
大宮(おおみや)
指定
歴史的風土特別保存地区(西賀茂102h)、歴史的風土保存区域(西賀茂227h)
所在地
京都府京都市北区 大宮・西賀茂

概要

京都市北区の大宮・西賀茂の地域。 かつての愛宕郡大宮村の御土居以北の洛北エリアで、昭和55年以前の旧大宮学区に相当する。 大正7年に愛宕郡大宮村の御土居以南が京都市上京区(現在は北区)に編入され、紫竹・紫野地域となている。 平安時代には地域北部の氷室地区から禁裏に氷が運ばれた。 中世の大宮郷は、上賀茂神社の社領「賀茂六郷」のひとつで、西賀茂の産土神である大将軍神社の本殿は、賀茂社関係の社殿では現存最古のものである。 延元元年(1336年)後醍醐天皇方の兵が足利尊氏らとの洛中合戦にあたり、京見峠に陣を張った。 毎年8月16日には、西賀茂船山において五山送り火のひとつ「船形万燈籠送り火」が行われる。

見所

国史跡
御土居 - 豊臣秀吉によって造られた京都を囲む土塁で、洛中と洛外に分けられた。大宮土居町に遺構が見られる。
市登録史跡
氷室神社境内及び氷室跡 - 主水司(禁裏に供御する蔵氷にたずさわる司)清原氏が、氷室や氷池の守護神として勧請したと伝える。「延喜式」に記載された愛宕郡栗栖野氷室にあたるとされ、現在3基の氷室跡の窪地と5か所の氷池が残っている。
市環境保全地区
大将軍神社 - 609年(推古17年)創建と伝わる西賀茂地域(今原、鎮守庵、総門、田尻)の産土神。鎮守の森としての景観を留めている。天正19年(1591年)造営の上賀茂神社摂社片岡神社本殿を江戸寛永年間に移築した本殿(市文)は、賀茂社関係の社殿では現存最古。
観光名所
神光院 - 「西賀茂の弘法さん」として親しまれている1217年創建の真言宗系単立寺院。空海自ら刻んだと伝える本尊の弘法大師像は、「厄除大師」として篤く信仰されている。毎年、諸病封じの「きゅうり封じ」が行われている。
正伝寺 - 鎌倉時代創建の臨済宗南禅寺派の禅刹。本堂は、伏見城御成殿を移建したもので、伏見城で自刃した徳川方の血痕が血天井に残る。本堂東側には、比叡山を借景に小堀遠州作庭といわれる白砂敷の平庭が広がる。
霊源寺 - 臨済宗系の単立寺院。1636年、後水尾上皇が、岩倉家出身の仏頂国師を開山に請じ創建された。その後も霊元上皇の勅願所となるなど、朝廷の厚い帰依を受けた。幕末には岩倉具視が当寺で出家隠棲している。
西方寺 - 浄土宗の寺で、平安時代初期、円仁が開創したと伝わる。毎年8月16日には、五山送り火の一つである「船形万燈籠」が点火され、終了後、境内で鉦や太鼓を使って念仏を唱える古態の六斎念仏が行われる。
大宮交通公園 - 昭和44年に開園した交通ルールを身につけることを目的とした子供のための交通公園。園路をゴーカートで走ることができ、蒸気機関車や路面電車が展示されている。御土居の土塁の一部も残っている。
船山 - 山腹に五山送り火のひとつ「舟形万灯籠」の火床がある。西方寺と船形万灯籠保存会により維持されている。船の形は、承和14年(847年)帰唐の際に船上で暴風雨にあった円仁が念仏を唱えたところ無事到着できたことに因む。
京見峠 - 標高446mの峠で「長坂峠」とも。「太平記」ゆかりの峠で、若狭方面から上洛する際、最初に京を見下ろすことができたことによる。明治35年に周山街道が開通するまで、この若狭街道(京街道)から京に海産物を運び、西の鯖街道と称された。また薪炭が丹波地方の諸産物の集荷地であった鷹ヶ峰の中継問屋へと運ばれた。
杉阪の船水 - 「京見峠の水」として親しまれている飲用可能な湧き水。傍らに大日如来の石仏が祀られている。

行事

8月16日
船形万燈籠送り火 - 西賀茂船山において点火される五山送り火のひとつ。西方寺と船形万灯籠保存会により維持され、京都市無形民俗文化財に指定されている。送り火終了後、境内で鉦や太鼓を使って念仏を唱える古態の六斎念仏が行われる。
10/23直近日曜
大将軍神社例祭 - 乙女、総代、宮詣、稚児、神輿若中などの行列が氏子町内を練り歩く。

歴史

609年
大将軍神社が創建されたと伝わる。
平安時代
氷室町及び西氷室町から禁裏に氷が運ばれた。
834年~848年
承和年間、西方寺が開創されたと伝わる。
中世
「賀茂六郷」のひとつ大宮郷は、上賀茂神社の社領であった。
1217年
神光院が創建された。
1282年
烏丸今出川にあった正伝寺が、西賀茂の地に復興された。
1336年
後醍醐天皇方の兵が足利尊氏らとの洛中合戦にあたり、京見峠に陣を張った。
1636年
霊源寺が創建された。
明治22年
町村制施行で、愛宕郡の西賀茂村と東紫竹大門町が合併して愛宕郡大宮村が発足した。
大正7年
愛宕郡大宮村の御土居以南が京都市上京区に編入され、紫竹・紫野地域となった。
昭和6年
愛宕郡大宮村(川上、今原、鎮守庵、総門、田尻、三筑、開、薬師山)が京都市上京区に編入され、大宮・西賀茂地域となった。(旧大宮学区)
昭和55年
西賀茂川上以北が柊野学区に再編成された。

撮影後記

 「大宮」という名は、四条大宮、五条大宮など京都の主要な南北通である大宮通にも残っています。 このページでは範囲外となりますが、大宮通を上ルと紫竹に久我神社があります。 近世まで「大宮」と称されていた社で、ここから定められたと伝えられます。 当初は賀茂氏の氏神社として創建されましたが、鎌倉時代には賀茂氏の氏神としての性格は薄れ、旧大宮村の民の社として信仰されるようになりました。

更新履歴

2015年10月9日
初版をアップロードしました。

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