戒光寺

丈六釈迦如来

曇照律師が1228年に猪熊八条に創建し、後水尾天皇の発願により真言宗泉涌寺の塔頭となり山内に移転した。運慶・湛慶合作の本尊釈迦如来(重文)は、身の丈一丈六尺(約5.4m)の大像で、「丈六さん」と称される。

戒光寺

戒光寺について

基本情報

山号寺号
泉山戒光寺(せんざんかいこうじ)
別称
丈六戒光寺、丈六(たけろく)さん
宗派
真言宗泉涌寺派
寺格
準別格本山、泉涌寺塔頭
創建
1228年(安貞二年)
開山
浄業(曇照律師)
本尊
釈迦如来 - 丈六釈迦如来像。
札所
京都十三仏霊場 第3番、泉山七福神巡り 弁財天
駐車場
無料駐車場あり - 泉涌寺駐車場利用。
交通機関
泉涌寺道バス停徒歩7分、京阪・JR東福寺駅徒歩15分
住所
京都府京都市東山区泉涌寺山内町29
サイト
丈六戒光寺

概要

真言宗泉涌寺派総本山泉涌寺の塔頭のひとつ。 1228年(安貞二年)宋から帰朝した曇照律師が、猪熊八条(南区戒光寺町)に創建したのが起源。 1645年(正保二年)後水尾天皇の発願により泉涌寺塔頭となり、現在地に移転した。 本尊木造釈迦如来立像(重文)は鎌倉時代の仏師 運慶・湛慶父子の合作で、身の丈は一丈六尺(約5.4m)総高約10mの大像で、「丈六釈迦如来像」と称される。 後水尾天皇の守護仏としても崇敬あつく、「身代わり丈六さん」として庶民の篤い信仰をうけている。

見所

国重要文化財
木造釈迦如来立像(丈六釈迦如来) - 鎌倉時代の仏師 運慶・湛慶父子の合作。身の丈は一丈六尺(約5.4m)総高約10mの大像で「丈六釈迦如来像」と称される。後陽成天皇の皇后の信仰や、後水尾天皇の守護仏としても崇敬あつく、「身代わり丈六さん」として庶民の篤い信仰をうけている。
木造浄業坐像 - 鎌倉時代の作。開山の曇照津師像。大英博物館の「ジャパンフェスティバル」に鎌倉期の代表的彫刻として展示された。
観光名所
本堂 - 中央に丈六釈迦如来像、左奥に不動明王像、右奥右に曇照津師像、右奥左に弘法大師像を安置する。
泉山融通弁財天 - 泉山七福神巡り第2番。伝教大師最澄の作といわれる秘仏で、1月成人の日の七福神巡りと、11月3日の弁財天大祭に開帳される。
百年夫婦桜 - 樹齢百年を越えるソメイヨシノ。根本からは楓が生えて「夫婦桜」と呼ばれている。
禁裏御陵衛士墓所 - 油小路事件で新撰組により斬殺された御陵衛士(高台寺党)盟主の伊東甲子太郎、藤堂平助、毛内有之助、服部武雄の墓。

行事

1月15日
初丈六縁日 - 五大力尊お授け、厄除雑煮接待。
1月成人の日
七福神めぐり大祭 - 秘仏融通弁財天御開帳。
2月3日
節分星まつり - 大般若経転読法要、甘酒接待。
4/8直近の日曜
花まつり大法要 - 本堂内陣特別参拝、甘茶接待。
9月21日
秋季彼岸会先祖回向法要 - 秘仏融通弁財天御開帳。
11月3日
泉山融通弁財天大祭 - 本堂内陣特別参拝。

歴史

1228年
宋から帰朝した曇照が、猪熊八条(南区戒光寺町)に創建し、後堀川天皇の勅願所となった。
応仁の乱
兵火で焼失したが、本尊の丈六釈迦如来は、一条戻橋付近(上京区戒光寺町)へ避難した。
1590年
三条河東へ寺基を移した。
1645年
後水尾天皇の発願により泉涌寺塔頭となり、現在地に落ち着いた。
1868年
油小路事件で新撰組により斬殺された御陵衛士盟主の伊東甲子太郎ら四士が当寺に改葬された。

撮影後記

 猪熊八条(大宮八条の東)と堀川一条には現在も戒光寺町の名が残っている由緒ある寺です。 京の大仏こと丈六釈迦如来が「身代わり丈六さん」と呼ばれるのは、後水尾天皇がまだ東宮の頃、即位争いで刺客に寝首を掻かれた際に、丈六釈迦如来が身代りになられたヒ・ストーリーから。 丈六さんの首の辺りから血のようなものが流れているようにも見えます。 後水尾天皇は85歳で御崩御され、歴代天皇のなかでも極めて長寿でした。

更新履歴

2015年10月1日
初版をアップロードしました。

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