佛光寺

真宗佛光寺派本山

下京区にある真宗佛光寺派本山。鎌倉時代末、了源が真宗念仏の根本道場「興正寺」としたのが実質的な開山である。その後、後醍醐天皇の霊告によって、「佛光寺」とされ、一時期は本願寺の勢力を凌駕し隆盛した。

佛光寺

仏光寺について

基本情報

山号寺号
渋谷山(汁谷山)佛光寺(じゅうこくざんぶっこうじ)
宗派
真宗佛光寺派
寺格
本山
創建
伝 1212年(建暦二年)
開基
親鸞
中興開山
了源
本尊
阿弥陀如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
阪急烏丸駅徒歩2分、地下鉄四条駅徒歩5分
住所
京都府京都市下京区新開町397
サイト
佛光寺 英月ブログ この世の極楽

概要

下京区にある真宗佛光寺派の本山。 寺伝によれば、承元の法難で越後に配流されていた親鸞が帰洛し、山科の地に草庵を結んだことを起源とする。 鎌倉時代末、第七世 了源が、寺基を山科から東山渋谷(現在の京都国立博物館あたり)に移し、真宗念仏の根本道場としたのが実質的な開山である。 その後、本尊が盗難に遭うが、後醍醐天皇の霊告によって盗まれた阿弥陀如来像が出てきたことから、「阿彌陀佛光寺」の勅号を賜り、「佛光寺」と称されるようになり、本願寺の勢力を大いにしのぎ隆盛をしていった。 1481年、48坊のうち42坊が本願寺に帰参し寺勢が衰え、兵火や火災などの法難に苦しむが、門末の念仏相続の御懇念によって、法灯は守り続けられてきた。 阿弥陀堂に安置されている聖徳太子像は、国の重要文化財に指定されている。

見所

国重要文化財
木造聖徳太子立像 - 阿弥陀堂に安置。玉眼入の少年太子の像。1320年、了源が山科から東山汁谷に寺基を移したときのもの。(拝観要予約、個人拝観不可)
紙本着色一流相承系図 - 了源とその内室了明を筆頭に、総数七十余の僧尼と俗形男女が描かれ、朱線で結ばれ、「絵系図」と称される。仏光寺と塔頭長性院に分かれて伝来したが、もとは合わせて一巻をなしていた。
木造阿弥陀如来立像 - 塔頭光薗院に安置されている。
木造阿弥陀如来立像 - 境内末寺大行寺に安置されている。鎌倉時代初期、快慶作。
観光名所
阿弥陀堂(本堂) - 明治37年の再建。須弥壇中央に本尊の阿弥陀如来像、両脇壇に聖徳太子像と法然上人像が安置されている。
太師堂(御影堂) - 明治17年の再建。須弥壇中央に親鸞聖人像、両脇壇に了源上人像と前住上人の絵像が安置されている。
阿弥陀堂門 - 明治12年の建立。唐破風をつけた銅版葺四脚門。
御影堂門 - 切妻四脚門。
勅使門- 勅使参向のとき以外は固く閉じられている。
玄関門 - 東側築地塀の最北にある門。
境内末寺・塔頭 - 大行寺、明顕寺、高林庵、教音院(奥坊)、光薗院(新坊)、昌蔵院(角坊)、久遠院(中坊)、長性院(西坊)、大善院(南坊)。

歴史

1212年
寺伝によれば、承元の法難で越後に配流されていた親鸞が帰洛し、山科の地に草庵を結び、順徳天皇より聖徳太子にまつわる勅願を賜り、「興隆正法寺」と号したと伝わる。
鎌倉時代
第七世 了源は、教化活動の拠点を関東から山科におき、光明本尊・絵系図・交名帳を用いて西日本一帯の布教活動に力を入れた。
1320年
了源は、寺基を山科から東山渋谷(汁谷)(現在の京都国立博物館あたり)に移し、「興正寺」として、真宗念仏の根本道場とした。(1328年とも)
1327~1328年
本尊が盗難に遭うが、後醍醐天皇の霊告によって盗まれた阿弥陀如来像が出てきたことから、「阿彌陀佛光寺」の勅号を賜り、「佛光寺」と称されるようになり、本願寺の勢力を大いにしのぎ隆盛をしていった。
1335年
了源が、伊賀の七里峠において賊徒に襲われ死去。
1336年
了源夫人 了明が第九世となり、以後、多くの女性が教団護持に携わってきた。
応仁の乱
兵火により東山の諸堂を焼失し、摂津に避難した。
1481年
経豪(蓮教)が、本願寺の蓮如に帰依し、山科西野に再び「興正寺」を創建し、48坊のうち42坊が本願寺に帰参し、寺勢が本願寺と逆転した。残った6坊(奥坊・角坊・新坊・西ノ坊・中坊・南坊)は、経豪の弟 経誉を第14世とした。
1586年
豊臣秀吉の方広寺建立に伴い、現在の五条坊門高倉に移された。
1603年
御影堂が再建された。
1606年
慶長の大地震により諸堂が倒壊した。
1654年
御影堂が再建された。
1788年
天明の大火で全焼。
1802年
諸堂が再建された。
1864年
元治の兵火で焼失。
1868年
禁門の変により御影堂が焼失した。
明治17年
太師堂(御影堂)が再建された。
明治37年
阿弥陀堂(本堂)が再建された。

撮影後記

 丸竹夷で四綾仏高松万五条の「仏」と「高」の間にある寺院です。 「仏」とは「仏光寺通」です。 四条と五条の市街地の中にあり、広い境内では地元の人が子供連れで遊んでいて、都会の中のオアシスといった雰囲気がします。 かつては本願寺を凌ぐ規模で、本願寺を一回り小さくしたような典型的な浄土真宗の伽藍です。 西本願寺の南にある興正寺とは、もとは同じ寺院でした。

更新履歴

2012年8月24日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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