京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
二条城の南隣に位置する真言宗東寺派の寺院。 開基は空海、本尊は聖観音菩薩。 平安京が造営されたときに大内裏の南に造営された禁苑で、清泉が湧いていることから「神泉苑」と名付けられた。 乾臨閣や、左右の楼閣、釣殿など中国の禁苑を模して造園された。 平安時代には桓武天皇をはじめ皇族が行幸し遊宴が行われ、折雨の道場だった。 また、疫病の流行により清和天皇により初めて御霊会(ごりょうえ)が行われ、祇園祭の起源になったとされる。 中世以降は荒廃し、1602年、神泉苑の御池を利用して二条城の内濠が造営され苑域が縮小された。 伝承では源義経と静御前が出会った場と言われ、山茶花(さざんか)の名所としても知られる。
現在の苑域は小じんまりしていますが、元は都の禁苑で、二条城が造営されるまでは、二条通りから三条通りまで、南北400メートル、東西200メートルに及んでいたそうです。
平安時代は、池を中心として釣殿や滝殿などが建つ大庭園で、祇園社(八坂神社)まで地下水脈で繋がっていたという伝承もあります。
このように大きな池があったので、「御池通」の由来の場所とも云われています。
また、源義経と静御前がはじめて出逢ったという伝承まであって、想像が膨らみますね。
さらに、祇園祭の起源である御霊会が執行された場所でもあります。
以上のように、境内はコンパクトで北隣に世界遺産の二条城もあるので陰に隠れてしまいますが、徳川時代の二条城が江戸時代からの歴史である点からすると、神泉苑の遺産価値はそれに匹敵する程大きいのではないでしょうか。
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