御所八幡宮

むし八幡

社名の由緒は、足利尊氏が邸内の守護神として勧請したことによる。安産と幼児の守り神として信仰が篤く、「虫八幡」と称されている。太平洋戦争中、御池通の強制疎開によって御池通を隔てた南西側の当地に遷座した。

御所八幡宮

御所八幡宮について

基本情報

社名
御所八幡宮社(ごしょはちまんぐうしゃ)
別称
虫八幡(むしはちまん)、等持寺八幡、高倉八幡
創建
室町時代初期
主祭神
応神天皇、神功皇后、比賣神
旧社格
村社
例祭
9月15日
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
堺町御池バス停徒歩5分
住所
京都府京都市中京区亀甲屋町596-1

概要

足利尊氏が邸内の守護神として勧請したと伝えられる由緒によって「御所八幡宮」と呼ばれる。 もと御池堺町西南角の御所八幡町にあったが、太平洋戦争中の昭和19年、御池通の強制疎開によって御池通を隔てた南西の当地に遷座された。 安産と幼児の守り神として信仰が篤く、上高野の三宅八幡と並んで「虫八幡」と称されている。

見所

観光名所
本殿 - 明治38年再建の本殿は昭和19年に当地に遷された。
末社 - 高良社、天満宮、初音稲荷、三社。

歴史

1344年
足利尊氏が二条第邸内に守護神として御所八幡宮を勧請したと伝わる。
室町時代
尊氏の死後、邸宅は等持寺となり鎮守社になった。
応仁の乱
等持寺が焼失し、以後、天台宗吉祥院が別当となり管理した。
1708年
宝永の大火で焼失。
1788年
天明の大火で焼失。
1864年
元治の大火で焼失。
明治維新
御所八幡宮社と改称した。
昭和19年
太平洋戦争中の御池通の強制建物疎開により、旧鎮座地(御池堺町西南角の御所八幡町)から当地に遷座された。

撮影後記

 「御所八幡宮」という社名ですが、京都御所にあるのではなく、御池通沿いに鎮座しています。 その御池通に関してなのですが、川端通から堀川通までは、京都の東西路のなかでも一際道幅が広くなっています。 太平洋戦争末期の本土空襲に備えるため、沿道にあった木造家屋を強制疎開させ、御池通を防火帯とした跡なのです。 その煽りで、御所八幡宮も御池通の北側から南側に遷座させらたという訳です。

更新履歴

2015年1月12日
初版をアップロードしました。

御所八幡宮紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野