相国寺

京都五山第二位

臨済宗相国寺派の大本山で、京都五山第2位に列せられた禅刹。足利義満が夢窓疎石を迎え、花の御所の隣接地に一大禅苑を創建。室町時代には五山文学の中心地となり、境内の承天閣美術館に豊富な文化財を展示する。

相国寺

相国寺について

基本情報

山号寺号
萬年山相国寺(まんねんざんしょうこくじ)
別称
萬年相国承天禅寺
宗派
臨済宗相国寺派
寺格
大本山、京都五山2位
創建
1382年(永徳2年)
開山
夢窓疎石
開基
足利義満
本尊
釈迦如来
札所
神仏霊場巡拝の道 第99番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
地下鉄今出川駅徒歩5分、同志社前バス停徒歩5分
住所
京都府京都市上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町701
サイト
相国寺

概要

臨済宗相国寺派の大本山。 足利将軍家ゆかりの禅寺であり、京都五山第2位に列せられた。 室町時代には五山文学の中心地であり、周文や雪舟を輩出し、境内の承天閣美術館に豊富な国宝及び重要文化財を展示する。 15ヶ寺もの塔頭を有する大禅刹で、金閣寺や銀閣寺は山外塔頭である。 1392年、室町幕府3代将軍 足利義満が、夢窓疎石を迎え、花の御所の隣接地に一大禅苑伽藍を建立したことに始まる。 幾度もの火災や兵火で伽藍を灰燼に帰したが、その度に復興した。 現存する法堂は、日本最古の法堂建築として1605年に再建されたもので、天井の「蟠龍図」は、狩野光信の筆で、手を打つと反響するため「鳴き龍」とも呼ばれる。

見所

国宝
無学祖元墨蹟(与長楽寺一翁偈語 弘安二年十一月一日) 4幅 - 承天閣美術館収蔵。
玳玻天目茶碗 - 承天閣美術館収蔵。
国重要文化財
法堂(附玄関廊) - 1605年、豊臣秀頼の寄進により再建。法堂としては日本最古の遺構。仏殿も兼ねた相国寺本堂にあたる。天井の雲龍図「蟠龍図」は、狩野光信の筆で、手を打つと反響するため「鳴き龍」とも呼ばれる。
絹本著色十六羅漢像(陸信忠筆)16幅
絹本著色鳴鶴図(文正筆)2幅
紙本墨画山水図
紙本墨画猿猴竹林図(長谷川等伯筆・六曲屏)
絹本墨画淡彩鳳凰図(林良筆)
紙本墨書普広院旧基封境図
紙本墨書十牛頌(伝絶海中津筆)10幅
紙本墨書明永楽皇帝勅書
無学祖元高峰顕日問答語
異国通船印鑑 13通
紙本金地著色蔦の細道図 - 俵屋宗達筆。承天閣美術館収蔵。
絹本著色白雲紅樹図 - 池大雅筆。承天閣美術館収蔵。
紙本金地著色遊楽図六曲屏風 - 承天閣美術館収蔵。
源公忠像 - 佐竹本三十六歌仙絵巻断簡。承天閣美術館収蔵。
絹本著色七難七福図 - 円山応挙筆。承天閣美術館収蔵。
絹本著色孔雀牡丹画 - 円山応挙筆。承天閣美術館収蔵。
毘沙門天図 - 雪舟筆。承天閣美術館収蔵。
一山一寧墨蹟 - 承天閣美術館収蔵。
寂室元光墨蹟 - 承天閣美術館収蔵。
竺田悟心墨蹟至順元年 - 承天閣美術館収蔵。
乾峯士曇墨蹟初心弁道警策 - 承天閣美術館収蔵。
月(石偏に「閒」)文明墨蹟 - 承天閣美術館収蔵。
霊石如芝墨蹟餞別偈 - 承天閣美術館収蔵。
紙本著色三十六歌仙切 - 承天閣美術館収蔵。
絹本墨画淡彩山水図 - 承天閣美術館収蔵。
紙本墨書南堂清欲墨蹟 - 承天閣美術館収蔵。
紙本墨書慈円僧正願文 - 承天閣美術館収蔵。
黄瀬戸大根文鉦鉢 - 承天閣美術館収蔵。
楽焼赤茶碗 - 光悦作。承天閣美術館収蔵。
唐津鉄斑文壺 - 承天閣美術館収蔵。
黒漆壺胡(竹冠に「録」) - 承天閣美術館収蔵。
源氏夕顔蒔絵手箱 - 承天閣美術館収蔵。
鋳銅梅竹文釣燈籠 - 承天閣美術館収蔵。
菊花双雀鏡 - 承天閣美術館収蔵。
金銅無文磬 - 承天閣美術館収蔵。
芦屋無地真形釜 - 承天閣美術館収蔵。
芦屋七宝文真形釜 - 承天閣美術館収蔵。
府文化財
開山堂 - 夢窓疎石を祀る塔所で、1807年に桃園天皇の皇后 恭礼門院の御殿を移築したもの。南庭には、昭和十年頃まで今出川の小川が流れ、「龍渕水」と称されていた。
方丈 - 1807年の再建。
方丈勅使門 - 文化年間の再建。
庫裡 - 1807年の再建。
宣明(浴室) - 1596年の再建。蒸気浴をしながら柄杓で湯をかけ入浴行した。
洪音楼 - 1843年の再建。大型の袴腰付鐘楼。
経蔵 - 1860年の建立。
総門 - 1797年の再建。
勅使門 - 慶長年間の再建。
弁天社 - 17世紀後半の建立。
市文化財
絹本墨画淡彩花鳥図座頭屏風 - 狩野探幽筆。承天閣美術館収蔵。
観光名所
承天閣美術館 - 相国寺と金閣寺などの塔頭寺院の豊富な文化財を収蔵展示。昭和59年に開館した。
三門跡 - 勅使門と法堂の間にはかつて三門(山門)があったが、天明の大火で焼失し、数個の礎石が残されている。
仏殿跡 - 1551年の石橋の乱で焼失し、礎石だけが残る。
天界橋 - 1551年、相国寺が焼亡した天文の乱は、この橋を挟んで始まった。
後水尾帝歯髪塚 - 後水尾上皇が出家落髪の時の髪と歯を上層柱心に納め、天明の大火で焼失し、その跡地に塚を建てた。
法然水 - 相国寺の地にあった神宮寺の庭池の名残。
宗旦稲荷社 - 相国寺に住みつき、茶人 千宗旦に化けて遊んでいた白狐「宗旦狐」を祀った祠。
鎮守 - 八幡宮。創立当時は今出川通の北にあり、御所八幡町はその旧跡。
境内塔頭
大光明寺 - 後伏見天皇の菩提寺として創建。伏見宮家や足利義尚の菩提所。寺宝として、絹本著色羅漢像が国の重要文化財に指定され、承天閣美術館に収蔵されている。
慈照院 - 桂宮家菩提所。寺宝として、灰釉四足壷(平安時代)、絹本著色二十八部衆像(鎌倉時代)、絹本著色地蔵菩薩画像(南北朝時代)、慈照院殿諒闇總簿(室町時代)、紙本墨画牧松筆達磨像(室町時代)が国の重要文化財に指定され、承天閣美術館に収蔵されている。
慈雲院 - 慈照院の隣に建つ。
瑞春院 - 水上勉の「雁の寺」の舞台。
林光院 - 庭園に「鶯宿梅(おうしゅくばい)」と呼ばれる名梅がある。
豊光寺
玉龍院
大通院
長得院
普廣院
養源院
境外塔頭
鹿苑寺 - 世界遺産 金閣寺として高名。
慈照寺 - 世界遺産 銀閣寺として有名。

行事

3/24~6/4
春の特別拝観 - 開山堂、法堂、浴室の拝観。
6月17日
観音懺法会
10月21日
開山忌
9/15~12/8
秋の特別拝観 - 開山堂、法堂、浴室の拝観。

歴史

1382年
足利義満は、花の御所の隣接地に一大禅苑伽藍を建立することを発願。
 
足利義満は、天龍寺の春屋妙葩(しゅんおくみょうは)に勧請開山を要請したが断られ、開山を妙葩の伯父であり師の夢窓疎石とし、妙葩は、第二世住持となることを了承した。
1392年
京都最大の禅宗寺院として相国寺の伽藍が竣工。南は一条通、北は上御霊神社、東は寺町通、西は大宮通にわたり、五十余りの塔頭寺院があったと伝えられる。以後、五山文学の中心地として栄えることとなる。
1394年
草創まもなく堂塔伽藍全部を焼亡。
1396年
法堂が再建された。
1399年
日本様式の仏塔としては最も高かった109mの七重大塔が建立。
1403年
大塔が落雷で焼失。
1407年
伽藍が旧観にほぼ復興した。
1425年
再び伽藍が全焼。
1463年
足利義政によって再建が進められ復旧。
1467年
応仁の乱で東軍の細川勝元の陣地となったことで焼失。
1551年
天界橋を挟み細川晴元と三好長慶が激突し焼失。
1584年
中興の祖とされる西笑承兌(せいしょうじょうたい)が入寺し復興が進められた。
1605年
豊臣秀頼の寄進により法堂が完成し、慶讃大法会が行われた。
1788年
「天明の大火」で法堂以外の堂宇が焼失。
1804~1818年
文化年間、開山堂、方丈、庫裏等が再建された。

撮影後記

 御所の北、同志社大の今出川キャンパス北隣に建っている禅刹です。 境内が広いので、境内は地元の人の生活道路ともなっています。 また、北山にある金閣寺や東山の銀閣寺も相国寺の境外塔頭になります。 法堂などの参拝は、春と秋の特別参拝期間だけとなりますので注意を。
 相国寺は足利将軍家ゆかりの寺で、開基は足利義満。 義満は生前、相国寺に天龍寺よりも高い寺格を与え、自分が住む花の御所の隣接地に一大禅苑を築こうとしたようです。 ちなみに五山の寺格ですが、大徳寺や妙心寺が列格されていないよう、あくまで足利氏から見た政治的な格付けであります。

更新履歴

2012年2月29日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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