勝竜寺城

細川ガラシャ

長岡京市にある平城。当城において、明智光秀の娘 細川ガラシャが、細川忠興のもとに輿入れし新婚時代を過ごしたことで知られる。江戸時代に廃城となったが、平成4年に「勝竜寺城公園」として整備され復興した。

勝竜寺城

勝竜寺城について

基本情報

名称
勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)
別称
勝竜寺城公園
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
JR長岡京駅徒歩10分
所在地
京都府長岡京市勝竜寺13-1

概要

1339年、足利尊氏率いる北朝方の細川頼春が、南朝に対抗するために築城したともいわれる平城。 織田信長より山城国西岡一帯を与えられた細川藤孝(細川幽斎)は、二重堀の堅固な城に改修し、当城において、明智光秀の娘 細川ガラシャが、細川幽斎の長男 細川忠興のもとに嫁入りし、新婚時代を過ごしたことで知られる。 後年の山崎の合戦では、明智光秀がここに本陣を構えたが、豊臣秀吉の大軍により落城した。 江戸時代に廃城となったが、平成4年に「勝竜寺城公園」として整備され復興した。 毎年11月には、「長岡京ガラシャ祭」が開催され、往時の姿を模した行列巡行が行われ、大変賑わう。

見所

観光名所
本丸跡 - 日本庭園風の公園に整備され、細川忠興と細川ガラシャの銅像が立つ。模擬天守風の管理棟や模擬隅櫓がある。
沼田丸跡 - 主郭西側の曲輪。細川藤孝の妻の実家であった沼田氏の屋敷があったといわれる。現在、駐車場になっている。
神足神社 - 遺構として、北東に位置する神足神社境内に空堀や土塁が残る。

歴史

1339年
足利尊氏率いる北朝方の細川頼春が、南朝に対抗するために築城したともいわれる。「勝竜寺城」の名前は、南にある勝龍寺に由来する。
応仁の乱
西軍(畠山義就)の拠点となった。
戦国時代
和泉細川氏の細川元常、三好三人衆の岩成友通が城主となった。
1568年
織田信長が、柴田勝家らに命じ、桂川を渡河し勝竜寺城を攻撃し、降伏・開城させた。
1571年
織田信長より山城国西岡一帯を与えられた細川藤孝(細川幽斎)は、二重堀の堅固な城に改修した。
1578年
当城において、明智光秀の娘 明智珠(細川ガラシャ)が、細川藤孝の長男 細川忠興のもとに輿入れした。
1582年
山崎の合戦で、細川家の縁戚でもあった明智光秀の拠点となり、豊臣秀吉の大軍により落城した。
1633年
山城長岡藩 永井直清により修築された。
1649年
摂津国高槻に移され、廃城となった。
平成4年
主郭が勝竜寺城公園として整備された。

撮影後記

 長岡京駅近くにある細川ガラシャゆかりの城です。 城の前の道は「ガラシャ通り」とネーミングされ、公園内にはガラシャと細川忠興の像があります。 由緒ある古城ですが、訪れてみての印象は、コギレイすぎるかなといったところ。 発掘後、平成になってから埋め戻されて整備されたので、いたしかたないのですが。
 ちなみに、ガラシャ祭りのゆるキャラ?「お玉ちゃん」、かわいらしくて自分的には気に入っています。

更新履歴

2012年6月17日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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