鹿王院

枯山水庭園

嵯峨野にある臨済宗系単立寺院。1380年、足利義満が延命祈願のため建立したのが起源。宝幢禅寺鹿王院は、京都十刹第五位に列格され興隆した。市名勝の枯山水庭園は、舎利殿を中心に嵐山を望む借景庭園で見事である。

鹿王院

鹿王院について

基本情報

山号寺号
覚雄山仏牙寺鹿王院(かくゆうざんぶつげじろくおういん)
宗派
臨済宗系単立
創建
1380年(康暦二年)
開山
春屋妙葩(しゅんのくみょう)
開基
足利義満
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京福鹿王院駅徒歩2分、JR嵯峨嵐山駅徒歩7分
住所
京都府京都市右京区嵯峨北堀町24

概要

嵯峨野にある臨済宗系単立寺院。 1380年、足利義満が、延命祈願のため、帰依する春屋妙葩を開山として「宝幢禅寺」を建立したのが起源。 「鹿王院」は宝幢禅寺境内に建てられた春屋妙葩の開山塔であった。 宝幢禅寺は、京都十刹第五位に列格され、歴代の室町幕府将軍が参詣し栄えた。 その後、応仁の乱の兵火で伽藍を焼亡し、塔頭の鹿王院だけが法灯を守っていくこととなった。 酒井田忠知の子 虎岑玄竹(こんしんげんちく)が出羽鶴岡藩の外護により復興した。 国の重要文化財など数多くの寺宝を有し、市の名勝に指定されている平庭式の枯山水庭園は、舎利殿を中心に嵐山を望む借景庭園である。

見所

国重要文化財
後醍醐天皇宸翰消息
絹本墨画出山釈迦像
紙本墨画蘭石図(梵芳筆)
紙本著色釈迦三尊及三十祖像(明兆筆)7幅
絹本著色夢窓国師像
絹本著色夢窓国師像
夢窓疎石墨蹟 2幅
紙本墨書鹿王院文書 1巻 - (京都国立博物館寄託)
紙本墨書金剛院文書 1巻 - (京都国立博物館寄託)
夢窓疎石筆臨幸私記 附:天竜寺造営記 - (京都国立博物館寄託)
府文化財
鹿王院文書 4066通
市名勝
鹿王院庭園 - 平庭式の枯山水庭園で嵐山を望む借景庭園である。作庭時期は不明だが、1786年刊の「拾遺都名所図会」の鳥瞰図には描かれている。舎利殿が建築された1763年頃に整えられたものと考えられる。
観光名所
本堂 - 1676年の建立。運慶作といわれる本尊の釈迦如来像、開山の普明国師像、開基の足利義満像が安置されている。
舎利殿 - 1763年頃の建立。源実朝が宋から招来した仏牙舎利が、多宝等に安置されている。毎年10月15日の舎利会で開帳される。
客殿 - 足利義満筆「鹿王院」の額が掲げられている。
山門 - 足利義満筆「覚雄山」の扁額が掲げられている。
中門 - 山門から中門までは、楓や天台烏薬などの銘木が繁り、少年時代の一休和尚もここで維摩経の提唱を聴いている。
後庭 - 客殿の裏庭には露地に続いて茶席「芥室」が佇む。

歴史

1379年
足利義満が、「宝幢菩薩を祀る伽藍を建立すれば寿命が延びるであろう」との夢告を受けた。
1380年
足利義満が、延命祈願のため、帰依する春屋妙葩を開山として「興聖寺」を建立した。
1384年
「興聖寺」から「宝幢禅寺(ほうとうぜんじ)」に改号した。
1386年
宝幢禅寺は、京都十刹の第五位に列せられた。
1387年
宝幢禅寺境内に、開山塔を建て「鹿王院」とした。
室町時代
足利義持、義教、義政ら歴代室町将軍が参詣し栄えた。
応仁の乱
兵火で伽藍を焼亡し、塔所の鹿王院だけが法灯を守っていく。
安土桃山時代
天龍寺の境外塔頭となった。
1596年
伏見大地震で堂宇が倒壊した。
1667年
酒井田忠知の子 虎岑玄竹(こんしんげんちく)が出羽鶴岡藩の外護により復興した。

撮影後記

 モミジの紅葉が美しい寺院です。 嵐山に程近いのですが、皆さんが向かう渡月橋や天龍寺とは逆方面に位置しているためか、それほど混雑しません。 それを知ってか、門前の駐車場は観光客を乗せたタクシーが入れ代わりやってきます。
 嵐電の駅名にもなっているとして鹿王院は、もともと宝幢禅寺の開山塔所として創建されました。 なんでも、野鹿が群れをなして現れたので、鹿王院と号されたとか。 今にも鹿の鳴き声が聞こえてきそうな、そんな素敵なお寺です。

更新履歴

2012年7月21日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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