京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
宇多野にある臨済宗建仁寺派の禅刹で、京都十刹第八位の寺格を有した。 1285年(弘安8年)、藤原北家 花山院師継が長子忠季の夭折を悼み、此の地に営んでいた山荘を花山院家の菩提寺として、心地覚心(無本覚心)を開山に請じて創建した。 寺号は忠季の法名に由来する。 入宋した心地覚心(法燈国師)は、味噌醤油の醸法をもたらしたことで知られ、尺八を愛好したとして普化宗の祖ともされる。 亀山、後醍醐、後村上の三朝勅願寺で南朝と縁深く、建武、嘉吉の二度、三種の神器が奉安されたことがあり興隆した。 幕末には勤王派の拠点となり、新撰組の焼き討ちにより焼失し、廃仏毀釈により無住となり荒廃したが、近年再興され、境内が市の史跡に指定された。
最近、太平記を観ていて、この寺が登場したことから訪問してみました。 大覚寺統の勅願寺となり南朝と縁が深く、花山院師賢が南朝に奉じたことから、足利尊氏の北朝と対峙した後醍醐天皇が、三種の神器と共に妙光寺に逃れました。 また、現在建仁寺が所有する国宝「風神雷神図屏風」は、当初は当寺の所有でありました。 妙光寺再興の際に豪商 打陀公軌が、俵屋宗達に製作を依頼し、文政期に建仁寺に移されています。 さらに開山の無本覚心は、あの金山寺味噌を宋からもたらしたとかで、いろいろ興味深い由緒のある隠れた名刹ですね。
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