両足院

半夏生茂る名勝庭園

臨済宗大本山建仁寺の塔頭で、龍山徳見禅師が南北朝時代に創建した。五山文学最高峰の寺院のひとつで、建仁寺の学問面の中核を担った。京都府指定の名勝庭園は、初夏の半夏生が茂る頃に毎年特別公開されている。

両足院

両足院について

基本情報

寺号
両足院(りょうそくいん)
別称
饅頭始祖の寺、三白草の寺
宗派
臨済宗建仁寺派
寺格
建仁寺塔頭
創建
南北朝時代
開山
龍山徳見
開基
龍山徳見
本尊
阿弥陀如来
駐車場
有料駐車場あり - 建仁寺駐車場利用。
交通機関
東山安井バス停徒歩3分
住所
京都府京都市東山区小松町591
サイト
両足院

概要

臨済宗大本山建仁寺の塔頭寺院。 建仁寺開山 栄西禅師の法脈 黄龍派を受け継ぐ龍山徳見禅師が南北朝時代に創建した。 室町時代中期まで霊源院と共に五山文学の最高峰の寺院で、「建仁寺の学問面」の中核を担った。 書院前庭の池泉廻遊式庭園は、京都府の名勝に指定され、織田有楽斎好みの如庵の写し「水月亭」、その右には「臨池亭」が並ぶ。 梅雨の頃には半夏生(はんげしょう)が茂り、毎年特別公開されている。

見所

国重要文化財
紙本墨画三教図 - 室町時代の如拙筆。(京都国立博物館寄託)
府名勝
両足院庭園 - 茶道薮内流5代 竹心紹智作庭の池泉廻遊式庭園。梅雨の頃には半夏生が茂る。池の北側には織田有楽斎好みの如庵の写しの二畳半台目茶室「水月亭」、その右には白木屋(東急百貨店)の大村彦太郎寄進の「臨池亭」が並ぶ。
市登録文化財
饅頭屋町文書 - 饅頭屋塩瀬家のあった饅頭屋町関係の桃山時代の資料。
観光名所
本堂(方丈) - 嘉永年間(1848年~1854年)の再建。本尊阿弥陀如来立像を安置。方丈前庭に桃山時代作庭の枯山水庭園がある。
書院 - 寛永年間(1624年~1644年)の再建。
唐門 - 前庭に白砂青松の庭がある。
毘沙門天堂 - 明治21年の建立。毘沙門天堂像は鞍馬寺毘沙門天の胎内仏であった。比叡山焼き討ちの際、比喜多養清(筑前黒田家京都御用達茶家)のところへ疎開させ、明治10年ごろ当院に寄進された。黒田長政が関ヶ原の戦いの際、内兜に収めて奮戦したと伝わる。
墓地 - 林浄因(饅頭の始祖)、末次平蔵(江戸時代の貿易商人・長崎代官)、三輪執斎(江戸時代の陽明学者)、大村彦太郎(白木屋百貨店創業者)。

行事

1月
新春特別拝観
6月~7月上旬
初夏の特別拝観 - 半夏生の庭園特別公開。
10月初旬
饅頭祭 - 饅頭屋町合塔碑の前で紅白饅頭を配る。
10月13日
開山龍山徳見禅師忌
11月上旬頃
秋季特別拝観

歴史

南北朝時代
龍山徳見が「知足院」を創建した。
1428年
知足院の別院「両足院」が、3世文林寿郁により創建された。
1532~1554年
天文年間に焼失し、知足院と両足院を併合して「両足院」が再興された。
明治4年
廃仏毀釈で浩養院を併合した。
明治21年
毘沙門天堂が建立された。
大正11年
毘沙門天堂が現在地に移築された。
大正15年
高台寺にあった茶席「臨池亭」が移築された。
昭和62年
書院、庫裏が全半焼した。

撮影後記

 毎年、ハンゲショウが咲く頃になると特別公開されているのですが、毎年行きそびれています。 実際は花ではなくて、葉の半分くらいが白粉を塗ったように化粧することから「半化粧」とも。
 開山の龍山禅師は、関東の名族千葉氏の出で、13歳で鎌倉の寿福寺で出家し、円覚寺の一山一寧に参禅しています。 特徴的な院号「両足院」は、仏の尊称のひとつである「両足尊」にちなんでいるそうです。

更新履歴

2015年2月6日
初版をアップロードしました。

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