岩屋寺

大石内蔵助

山科にある曹洞宗寺院。「忠臣蔵」で名高い赤穂浪士 大石内蔵助ゆかりの寺院で、この地に隠棲し、討ち入りの謀を巡らした。毎年12月14日、赤穂四十七士の討入りを再現した「山科義士まつり」が盛大に行われる。

岩屋寺

岩屋寺について

基本情報

山号寺号
神遊山岩屋寺(しんゆうざんいわやじ)
別称
大石寺
宗派
曹洞宗
創建
平安時代 - 897年創建の山科神社神宮寺であった。
開山
不詳
開基
不詳
本尊
不動明王
札所
近畿三十六不動尊霊場 24番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
大石神社前バス停徒歩8分
住所
京都府京都市山科区西野山桜の馬場町96

概要

山科にある曹洞宗寺院。 「仮名手本忠臣蔵」で名高い赤穂浪士 大石良雄(大石内蔵助)ゆかりの寺院で、赤穂城明け渡しの後、この地に隠棲し、討ち入りの謀を巡らした。 寺宝に浅野内匠頭と四十七士の位牌や木像などが収蔵され、本尊の不動明王像は、大石内蔵助の念持仏であったという。 創建は不詳だが、平安時代に隣接する山科神社の神宮寺として創建され、当初は天台宗に属し比叡山三千坊の一つであった。 大石内蔵助が切腹した後、邸宅や田畑など一切が当寺に寄進された。 江戸嘉永年間、京都町奉行 浅野長祚(あさのながとし)らが復興して現在に至る。 毎年12月14日、赤穂浪士の討入りを再現した「山科義士まつり」が行われ、四十七義士などの隊列が行進し、寺宝が一般公開される。

見所

観光名所
本堂 - 本尊の不動明王像は、智証作と伝えられ、大石内蔵助の念持仏であったという。
木造堂 - 明治34年の建立。浅野内匠頭と四十七士の位牌や木像などが安置されている。12月の義士祭のとき公開される。
大石良雄山科閑居址 - 本堂下段境内は大石内蔵助の邸宅跡で、遺髪塚が立っている。
可笑庵 - 嘉永年間(1848年~1854年)大石内蔵助邸の古材で建立された茶室。露地には大石内蔵助お手植えの紅梅がある。
大石弁財天 - 大石内蔵助が池の畔に祀ったといわれる。

行事

4月14日
浅野内匠頭祥月忌並びに春季施食会
12月14日
義士祭 - 赤穂浪士の討入りを再現した「山科義士まつり」が行われ、四十七義士などの隊列が毘沙門堂から当寺に行進する。甘酒接待、寺宝が一般公開される。
12月31日
除夜の鐘

歴史

897年
宇多天皇の勅命により隣接する山科神社が創建されたと伝わる。
平安時代
山科神社の神宮寺として創建され、天台宗に属し、比叡山三千坊の一つであった。
1701年
播州赤穂藩主 浅野長矩(浅野内匠頭)が、江戸城松の廊下において、吉良義央(吉良上野介)を斬り付けたことで浅野家断絶。家老 大石良雄(大石内蔵助)は、赤穂城明け渡しの後、親戚 進藤源四郎の世話でこの地に隠棲し、討ち入りの謀を巡らした。
1702年
大石内蔵助と赤穂浪士四十七士が、吉良邸を襲撃し主君の仇討ちを果たした。
1703年
大石内蔵助が切腹。邸宅や田畑など一切が岩屋寺に寄進された。
江戸時代
その後、荒廃した。
1848~1854年
嘉永年間、京都町奉行 浅野長祚らが復興した。

撮影後記

 山科の南部に位置し、伏見稲荷が鎮座する稲荷山の東麓にあたります。 歩いて数分のところには、こちらも忠臣蔵ゆかりの大石神社がありますので、両方に立ち寄るとよいでしょう。 この寺の住職は、代々尼僧が勤める事になっているそうで、住職さんにいろいろお話を伺いました。 シダレザクラや秋の紅葉が実に見事で、関東の方からも咲き具合の問い合わせがあるそうです。 京都の隠れた名刹のひとつだと思います。

更新履歴

2012年7月31日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛東から移動しました。

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