天祥院

奥平松平家菩提寺

臨済宗大本山妙心寺の塔頭寺院。1645年、奥平松平家2代 松平忠弘が、父 松平忠明の菩提を弔うために、武蔵国天祥寺の乳峯禅師を招請して創建した。近年、寺宝であった狩野山楽筆「老梅図襖」が高精細複製された。

天祥院

天祥院について

基本情報

寺号
天祥院(てんしょういん)
宗派
臨済宗妙心寺派
寺格
妙心寺塔頭
創建
1645年(正保二年)
開山
乳峯義元 - 妙心寺154世 智照真済禅師。
開基
松平忠弘 - 奥平松平家2代。
駐車場
無料駐車場あり - 妙心寺駐車場利用。
交通機関
妙心寺北門前バス停徒歩3分、京福妙心寺駅徒歩5分
住所
京都府京都市右京区花園妙心寺町43

概要

臨済宗大本山妙心寺の塔頭寺院である。 1645年(正保二年)、奥平松平家2代 松平忠弘(播磨姫路藩主、出羽山形藩主、下野宇都宮藩主、陸奥白河藩主)が、父 松平忠明(奥平松平家祖)の菩提を弔うために、武蔵国(埼玉県行田市)天祥寺の世代であった乳峯義元を招請して創建した。 明治期に延宝年間(1673年~1683年)開創の慈性院を併合している。 近世まで本堂には、奥襖絵として狩野山楽晩年の傑作「老梅図襖」があり、近年、最新のデジタルアーカイブ事業によって高精細複製された。

見所

観光名所
本堂 - 昭和51年の再建。かつて奥襖絵として狩野山楽の筆「老梅図襖」があり、近年、最新のデジタルアーカイブ事業によって高精細複製された。明治期の廃仏毀釈で散逸してしまった逸品は、米国メトロポリタン美術館に所蔵されている。
墓地 - 江戸時代の御殿医であった奥渓家の墓がある。

歴史

1645年
松平忠弘が父 忠明の菩提を弔うために、武蔵国天祥寺の乳峯法嗣を開祖に招請して創建した。
1673~1683年
延宝年間、慈照院が開創された。
明治11年
慈性院を併合した。
明治19年
土蔵と門を除く堂宇が焼亡した。
明治22年
堂宇が再建された。
昭和51年
本堂が再建された。

撮影後記

 普段は一般公開されていない山内塔頭ですが、2012年の秋に近くの麟祥院と共に特別公開されていました。 方丈奥襖にはデジタル復元された「老梅図襖」が収められていました。
 2007年に京都文化協会とキヤノンが「綴プロジェクト」を立ち上げました。 京都の伝統工芸の技とキヤノンが培ってきたデジタル画像技術を融合させ、オリジナルに限りなく近い高精細複製品が作られ、貴重な文化財を身近に感じられるようにという文化財未来継承プロジェクトです。 私も間近で鑑賞させてもらいましたが、科学に裏付けられた技術者と、金箔や表装など巧の技を持つ伝統工芸士とのコラボで、素晴らしいものでした。 ちなみにキヤノンの方法は、私が持っているようなデジカメで多分割撮影を行い、パソコン上で収差補正やカラーマッチング合成を行い、大判プリンターで独自開発された絹本へ出力しているようです。

更新履歴

2015年1月17日
初版をアップロードしました。

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