宇治上神社

日本最古の社殿

明治維新までは宇治神社と一対をなし、その上社であった。 現存する日本最古の本殿は1060年頃の建立で、拝殿は宇治離宮の遺構ともいわれ、共に国宝。その文化的価値から、境内が世界文化遺産に指定されている。

宇治上神社

宇治上神社について

基本情報

社名
宇治上神社(うじがみじんじゃ)
創建
不詳
主祭神
応神天皇、菟道稚郎子命、仁徳天皇
旧社格
式内社、村社
例祭
5月1日
駐車場
駐車場なし
交通機関
京阪宇治駅徒歩5分
住所
京都府宇治市宇治山田59

概要

宇治の産土神で宇治川沿いにある古社。 日本最古の神社建築といわれる本殿は1060年頃の建立、拝殿は宇治離宮の遺構ともいわれ、共に国宝に指定されている。 その文化的価値から「古都京都の文化財」として境内が世界遺産になっている。 「日本書紀」によれば、応神天皇の皇子 莵道稚郎子が、兄の仁徳天皇との皇位を巡る葛藤から宇治川に入水し、仁徳天皇が、弟の邸宅 莵道の宮(うじのみや)に、霊を祀ったことが由来といわれる。 対岸に平等院が建立されると、その鎮守社とされた。 明治維新までは、宇治神社と一対で「宇治離宮明神(うじりきゅうみょうじん)」と称され、その上社であった。 毎年6月8日には、宇治神社との合同祭「宇治離宮祭 」が行われ、市中を神輿が巡行する。

見所

国宝
本殿 - 1060年頃の建立で、日本最古の神社建築。一間社流造の社殿を三棟並べ、覆屋で囲う珍しい様式。左右殿の蟇股(かえるまた)は、醍醐寺薬師堂、中尊寺金色堂とともに「三蟇股」のひとつ。
拝殿 - 1215年の建立で、宇治離宮の遺構ともいわれる。
国重要文化財
境内社春日神社本殿 - 本殿の右側に、「天降石」を挟んで建つ。
本殿扉絵(板絵著色)4面
観光名所
桐原水 - 宇治七名水のひとつで、現存する唯一の名水。

祭事

1月1日
歳旦祭
1月15日
日待祭
5月5日
例大祭 - 槙島町の氏子が本祭を執り行う。
6月8日
宇治離宮祭 - 宇治神社との合同祭で、「宇治の祭」と称され、市中を神輿が巡行する。平安時代末から鎌倉時代にかけて藤原氏の援助を受けて、神馬が奉納され、競馬、田楽などの芸能が奉納されていた。
9月1日
八朔祭 - 氏子によって拝殿前に清めの立砂が盛られる。(砂持ち)
10月14日
日待祭
12月15日
新嘗祭

歴史

270年~310年
この地に応神天皇の離宮があり、宇治神社と一対で「宇治離宮明神」や「離宮社」、「離宮八幡」とも称されていたと伝わる。
312年
「日本書紀」によれば、応神天皇の皇子 莵道稚郎子が、兄の仁徳天皇との皇位を巡る葛藤から宇治川に入水したとある。兄の仁徳天皇が、弟の邸宅 莵道の宮に、霊を祀ったことが由来といわれる。
1052年
平等院が創建され、鎮守社とされた。
1060年頃
現本殿が建立された。
1214年
現拝殿が建立された。
平安時代後期
延喜式神名帳には「山城国宇治郡 宇治神社二座」とある。
明治維新
離宮上社が宇治上神社に、離宮下社が宇治神社に分離した。
明治43~44年
本殿拝殿が解体修理された。

撮影後記

 「古都京都の文化財」として宇治地域では平等院とともに世界遺産に指定されている神社です。 本殿と拝殿の二宇が占める境内は手狭で、観光名所としてはちょっと物足りない感もありますが、日本最古という文化的価値が評価された文化遺産です。
 今から10年程前に、年輪年代測定法による調査で、社殿の建立年代が正確に判明されました。 特に拝殿は、1215年に伐採されたヒノキ材を用いたとピンポイントで判明され、そんな前近代的手法で分かるとは驚きです。 炭素の同位体を利用した放射性炭素年代測定法では、どうしても数十年単位で統計的な誤差が生じるので、正確な年代測定には不向きのようです。 そうなると同時期に建立された平等院との関連性が考えられますね。

更新履歴

2012年8月21日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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