中川

北山杉の最大産地

京都市北区の清滝川中流の地域。北山杉の最大産地で、丹波で唯一中川庄のみが磨丸太を御所に供給していた。 周山街道が開通するまでは、鷹ヶ峰へと通じる「京道」が、京都とを結ぶ主要生活道として利用されていた。

中川

中川について

基本情報

名称
中川(なかがわ)
交通機関
JRバス高雄京北線利用
所在地
京都府京都市北区中川
サイト
北山三村

概要

京都市北区の清滝川中流の地域で、古くは葛野郡中川村と呼ばれていた。 清滝川が村の中央を流れていることから、中川村と称するようになったという。 周山街道が南北に貫き街道沿いに民家が集まっている。 総面積の9割以上を森林が占め、北山杉の産地として古来より林業が盛んな地域で、丹波国で唯一中川庄のみが磨丸太類を御所に供給していた。 明治42年に刊行された「京都府山林誌」には、北山杉第1位の生産地であると記されている。 明治35年に周山街道が開通するまでは、鷹ヶ峰へと通じる「京道」が主要生活道として利用されていた。 磨き丸太や垂木が、丹波地方の諸産物の集荷地であった鷹ヶ峰の中継問屋へと運ばれた。

歴史

平安時代
仁和寺領の荘園であった。
1219年
中河庄が梅ヶ畑の神護寺領となった。
鎌倉時代
梅ヶ畑郷の一部とされ、梅ヶ畑供御人として諸役の免状を受けた。
1573年
正親町天皇の綸旨によって、あらためて諸役が免除された。
江戸時代
梅ヶ畑の西明寺領であった。
1672年
中川八幡宮の本殿が焼失。
明治22年
町村制施行により葛野郡中川村が発足した。
明治27年
大火で半数以上の家屋が焼失し、中川八幡宮の社殿が類焼した。
明治35年
周山街道が開通した。
昭和10年
大水害で小学校や役場が被災した。
昭和23年
葛野郡中川村が京都市上京区に編入された。
昭和30年
上京区と北区に分かれ、北区に入った。

撮影後記

 「北山杉の里」とも呼ばれ、北区の北山三村(雲ケ畑・中川・小野郷)に属しているので、「北山・賀茂川流域」カテゴリに入れるべきなのでしょうが。 ただ、古くは葛野郡に属し、清滝川流域の周山街道(国道162号)沿いの地区でもあるので、「嵯峨・高雄・口丹波」で紹介しています。 近世まで葛野郡梅ヶ畑にある神護寺や西明寺の領地でもありましたし。
 なお、中川学区の杉阪と真弓の両地区は、「小野郷紀行」の方で紹介しています。

更新履歴

2015年9月22日
初版をアップロードしました。

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