京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
北は大原、南は上高野に接する比叡山西麓の地域。 古来より皇室や延暦寺との関係が深い童子村で、「八瀬童子」と呼ばれた。 八瀬童子は、薪炭の生産を生業としつつ、朝廷や延暦寺などの駕輿丁役や雑役を担って、諸課役免除、諸商売免許の権利を得つづけたことで知られる。 壬申の乱で、大海人皇子(後の天武天皇)が、背中に矢を受け、この地で窯風呂に入って傷を癒したとも伝わり、近世初期、土石で作られた窯を利用した蒸し風呂「八瀬かまぶろ」は、療養目的の湯治場として既に広く知られた存在であった。 八瀬童子の伝統を守るため「八瀬童子会」が組織され、資料741点が国の重要文化財に指定された。
大原に向かう途中、高野川沿いに集落が点在する山深い場所です。 かつては「八瀬の黒木売、大原の柴うり」と称された大原女たちが鯖街道を歩き、日本古来のサウナがある湯治場として賑わいました。 窯風呂伝説から「矢背」または「癒背」と呼ばれ、転じて「八瀬」となったといいますが、あくまでお話ということです。 高野川は、大原では「大原川」、八瀬では「八瀬川」とも呼ばれ、実際の由来は、八瀬川に数多くの浅瀬があったからというのが有力だそうです。 現在も、瀬のつく小字が散見されます。
lindas fotos, parabens.
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