八瀬

八瀬童子とかまぶろ

古来より朝廷や延暦寺との関係が深い童子村で、村人は「八瀬童子」と呼ばれた。薪炭の生産を生業としつつ、駕輿丁役や雑役を担って、特権を得続けた。近世には、蒸し風呂「八瀬かまぶろ」の湯治場として賑わった。

八瀬

京都八瀬について

基本情報

名称
八瀬(やせ)
駐車場
駐車場なし - 八瀬比叡山口駅・瑠璃光院周辺。
交通機関
叡電八瀬比叡山口駅下車
所在地
京都府京都市左京区八瀬 秋元町・近衛町・野瀬町・花尻町
サイト
八瀬叡山保勝会

概要

北は大原、南は上高野に接する比叡山西麓の地域。 古来より皇室や延暦寺との関係が深い童子村で、「八瀬童子」と呼ばれた。 八瀬童子は、薪炭の生産を生業としつつ、朝廷や延暦寺などの駕輿丁役や雑役を担って、諸課役免除、諸商売免許の権利を得つづけたことで知られる。 壬申の乱で、大海人皇子(後の天武天皇)が、背中に矢を受け、この地で窯風呂に入って傷を癒したとも伝わり、近世初期、土石で作られた窯を利用した蒸し風呂「八瀬かまぶろ」は、療養目的の湯治場として既に広く知られた存在であった。 八瀬童子の伝統を守るため「八瀬童子会」が組織され、資料741点が国の重要文化財に指定された。

見所

国重要文化財
八瀬童子関係資料 - (京都市歴史資料館寄託)
市文化財
八瀬かまぶろ - 土石で作られた窯を利用した蒸し風呂。壬申の乱で、大海人皇子(後の天武天皇)が、背中に矢を受け、この地で窯風呂に入って傷を癒したとも伝わり、八瀬の地名伝承ともかかる。近世初期、療養目的の湯治場として既に広く知られた存在であった。料理旅館かま風呂「ふるさと」に展示。
観光名所
八瀬川(高野川) - 八瀬比叡山口駅周辺の八瀬川沿いは新緑と紅葉の名所。平八茶屋(かまぶろ・牡丹鍋)、わらび茶屋(わらび餅・そば・ぜんざい)、京もみじ(京料理)、あざみ(鮎・牡丹鍋)などの店がある。(※所在地は上高野)
瑠璃光院 - 無量寿山光明寺の京都本坊である。昭和初頭、当時の京都電灯創業者が、数寄屋造りと中庭付きの別荘を造営した。近年、それを大洞龍明氏が購入し寺院風に改修した。書院から眺める瑠璃の庭の紅葉は見事である。(※所在地は上高野)
八瀬天満宮社 - 八瀬の産土神。少年時代の菅原道真が自己研鑽のため、比叡山に登るたびに休息していた場所と伝わる。毎年体育の日の前日、女装した男たちが紙で作った切子燈籠を被り踊り明かす「八瀬赦免地踊」が奉納される。
御蔭神社 - 下鴨神社の境外摂社。賀茂祭での御蔭祭では、荒御霊を下鴨神社に迎える。(※所在地は上高野)
妙伝寺 - 八瀬童子の位牌が祀られている。
養福寺 - 1607年、三条縄手に創建の浄土宗西山禅林寺派寺院。昭和49年に現在地に移転。
かけ観音 - 昭和8年の創建。平治の乱に敗れた源義朝が、源氏の再興を祈願し岩に刻んだと伝わる観音像を祀る。
九頭竜大社 - 昭和29年の創建。九頭竜弁財天を祀る。
花尻の森 - 江文神社御旅所の社叢。椿(ツバキ)の名所。(※所在地は大原)
鬼が洞 - 酒呑童子が身を隠したと伝わる洞窟。
ケーブル八瀬駅 - ケーブルカーでケーブル比叡駅に上る。(※所在地は上高野)
エクシブ京都八瀬離宮 - 会員制リゾート施設。もと「八瀬遊園」「スポーツバレー京都」「森のゆうえんち」の跡地。

歴史

672年
壬申の乱で、大海人皇子(後の天武天皇)が、背中に矢を受け、この地で窯風呂に入って傷を癒したとも伝わる。
平安時代
比叡山の雑役に従事し、天台座主の輿を担いだといわれる。また、参詣者を担いで登山することもあった。
1336年
八瀬庄の民たちは、後醍醐天皇を足利尊氏の軍勢から逃れるため比叡山に登るのを輿を担ぎ守護したといわれる。その功績により、八瀬庄では、代々地租免除の倫旨を与えられた。
中世
皇族の行幸や葬送の際には輿を担ぎ、比叡山に入会権を得て、洛中での薪炭などの販売に特権を認められていた。
1569年
織田信長は、八瀬郷の特権を引き続き保護する安堵状を与えた。
1595年
「言経卿記」によれば、療養目的の湯治場として広く知られた存在であった。
1603年
後陽成天皇が、八瀬郷の特権を引き続き保護する綸旨を下した。
1710年
八瀬村と比叡山との境界争いが起こり、地租免除の恩典を奪われるが、老中 秋元喬知の働きかけにより、村人の権利を再び守る裁定を下された。
1715年
釜風呂の湯治場が16軒を数えた。
明治元年
明治天皇初の東京行幸の際、八瀬童子が参列した。
大正元年
明治天皇の葬送の際、八瀬童子が葱華輦(天皇の棺を載せた輿)の輿丁として参列した。
昭和元年
大正天皇の葬送の際、八瀬童子が葱華輦の輿丁として参列した。
昭和24年
愛宕郡八瀬村が京都市左京区に編入された。
平成元年
昭和天皇の葬送では、警備上の理由から葱華輦の輿丁として参列はできなかった。

行事

5月12日
御蔭神社 御蔭祭 - 上高野にある下鴨神社境外摂社御蔭神社の荒御霊を下鴨神社に迎える。
5月15日
加茂社 葵祭 - 八瀬童子が輿丁の扮装で参加している。
10月15日
秋元神社 燈篭祭(八瀬赦免地踊) - 八瀬天満宮社摂社秋元神社例祭。女装した男たちが紙で作った切子燈籠を被り踊り明かす。市の無形民俗文化財に指定されている。

撮影後記

 大原に向かう途中、高野川沿いに集落が点在する山深い場所です。 かつては「八瀬の黒木売、大原の柴うり」と称された大原女たちが鯖街道を歩き、日本古来のサウナがある湯治場として賑わいました。 窯風呂伝説から「矢背」または「癒背」と呼ばれ、転じて「八瀬」となったといいますが、あくまでお話ということです。 高野川は、大原では「大原川」、八瀬では「八瀬川」とも呼ばれ、実際の由来は、八瀬川に数多くの浅瀬があったからというのが有力だそうです。 現在も、瀬のつく小字が散見されます。

更新履歴

2012年8月21日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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lindas fotos, parabens.

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