京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
大覚寺の北、嵯峨野で最も北にある寺院で、孟宗竹に包まれひっそりとしています。
思いの丈を綴る「想い出草」ノートがよく知られ、そこには「そっとその意地を私の心(ノート)にすててください。苦しむあなたをみているのがつらいのです。」と書かれています。
悩みを綴るだけでなく、相談もできる心を癒される寺として親しまれています。
かつては中興の祖の村岡局が、土地の子女の訓育に努めたり、悩める女性たちの駆け込み寺というイメージだったようですが、現在は募財に苦慮しているのか、「想い出草」ノートは女性だけのものでもありませんとか、尼寺ではありませんと公式ホームページ上で強調されています。
なお、ウィキペディアに「駐車場はないため車での来訪は不可。京都市バスまたは京都バス「大覚寺」下車または大覚寺の駐車場から約1kmを歩くこととなる。」と記述されていますが、寺隣に食事処の有料駐車場があります。
それか、大覚寺の駐車場は、500円~1,000円で終日駐車できるので、大覚寺を拝観した後、徒歩で直指庵に向かい、その後、嵯峨野や嵐山を一日かけて巡ってみるのもいいかもしれません。
山号を祥鳳山とする浄土宗寺院。 本尊は阿弥陀如来、開山は独照性円、中興の祖は津崎村岡局である。 1646年、南禅寺で臨斉禅を学んでいた独照性円が、没蹤庵という草庵を結んだのが始まりである。 独照は、黄檗宗の開祖・隠元隆琦を招き法嗣となり、枯松の枝が池に落ちるのを見て大悟し、黄檗宗の正統「直指人心」の旨から、寺号を定めず「直指庵」と号した。 そして、帰依者が増え伽藍が建ちならび大寺院となるが、その後衰え、独照の墓堂を存ずるだけとなった。 幕末、近衛家の老女・津崎村岡が入り中興し、浄土宗の寺として土地の子女の訓育に努め現在に至る。 中興時の諸堂は明治13年に焼失し、現在の堂は明治32年、北嵯峨の有志によって建てられた。 庵には、1965年頃から始まったとされる思いの丈を綴る「想い出草」ノートがあり、5000冊以上の蔵書がある。
住所: 京都市右京区 北嵯峨北ノ段町3
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