京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
淀川水系の一級河川で、一般的に高野川と合流する以北を「賀茂川」、以南を「鴨川」と表記される。 二条付近から琵琶湖疏水とも結ばれ、西側には江戸時代に高瀬川が開拓されて並流すしている。 古来より氾濫を繰り返すため、専制的な政治を行った白河法皇ですら、「鴨川の水、双六の賽、山法師」と意のままにならない「天下三大不如意」として譬えた暴れ川として知られる。 中世には河原が歓楽地となり、阿国歌舞伎の出雲阿国をはじめ多くの遊芸人が集い歌舞伎発祥の地ともなった。 桃山時代には豊臣秀吉の都市改造政策により、洛中東部境界として鴨川に沿って御土居が築かれ、江戸時代、鴨川と御土居との間に通りが設けられ、祗園と並ぶ花街「先斗町」の起源となった。 昭和の鴨川水害を契機に、大規模な河川改修事業が完成し、河道が掘り下げられ、川幅の拡幅された現在の姿になった。 毎年5月から9月の間、二条から五条にかけての鴨川西岸(みそそぎ川)に、90軒ほどの料亭「鴨川納涼床」が軒を並べ夏の風物詩となっている。
雲ケ畑の桟敷ヶ岳を水源としている鴨川。
鴨川デルタで高野川と合流するまでの賀茂川は、「北山・賀茂川流域」カテゴリの方で扱うことにします。
観光客は寺社の方へ流れますが、鴨川は市民の憩いの場所的色合いが濃く、「鴨川等間隔の法則」なるものがあります。
川岸に腰を下ろして語り合うカップルなどが、自然に等間隔になることだそうですが、よく考えると法則も何も、空いた電車の座席などでも見られる当たり前のことですよね。
大人しい学生が多い京都らしいといえば、大阪などより顕著なのかもしれませんが。
あと、鴨川に架かる橋のことですが、二条、三条、四条とほぼ等間隔で架かっているのに、五条大橋だけ南に寄っていると思いませんか。
これは、現在の国道1号線が通る五条通は、平安京の五条大路ではないから。
かつて「五条橋通」と称されていた六条坊門小路を今の五条通としているからに他なりません。
ということは、弁慶が牛若丸に翻弄された逸話も、今の松原橋あたりということになるのでしょう。
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