慈雲院

大典禅師

臨済宗相国寺の塔頭。長禄年間(1457年~1459年)、瑞渓周鳳によって創建された。江戸期に入り、漢詩文に長じ日本初の茶経詳説を著した大典顕常が住持になった。大典禅師は、朝鮮修文職を任じられる高僧であった。

慈雲院

慈雲院について

基本情報

寺号
慈雲院(じうんいん)
宗派
臨済宗相国寺派
寺格
相国寺塔頭
創建
1457年~1459年(長禄年間)
開山
瑞渓周鳳 - 相国寺42世。
開基
瑞渓周鳳
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
地下鉄鞍馬口駅徒歩5分
住所
京都府京都市上京区相国寺門前町703

概要

臨済宗相国寺の塔頭のひとつである。 長禄年間(1457年~1459年)、相国寺42世 瑞渓周鳳によって創建された。 もとは「慈雲庵」と称し、本坊北側(旧京都成安中学校・高等学校跡地)を寺基としていた。 江戸期に入り、漢詩文に長じ、日本初の茶経詳説を著した大典顕常が第9世住持になった。 大典禅師は、天明の大火後の相国寺復興に尽力し、京都五山碩学と朝鮮修文職を任じられる高僧であった。 明治29年、旧寺地を毀却し現在地に移った。

歴史

1457~1459年
瑞渓周鳳が「慈雲庵」を下京(京都産業大学附属中・高等学校の場所)に創建した。
江戸時代
天明の大火後の相国寺復興に尽力した大典顕常が9世住持になった。
明治29年
旧寺地を毀却し寺号を富春軒に移した。
大正13年
15世 琢堂周圭は、境内に和敬学園を創立した。

撮影後記

 拝観寺院ではないのですが、隣接している慈照院を訪れた際に、序でに撮影した写真が数点あったので掲載してみました。 境内北側には、大正期に一日一善を提唱し社会活動に尽力した住職が創立した社会福祉法人和敬学園が建っています。 親の病気や離婚、死別、虐待など家庭の事情で一緒に生活できない18歳までの若者が共に生活しています。

更新履歴

2015年2月28日
初版をアップロードしました。

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