長楽寺

平家物語ゆかりの寺

円山公園の奥、京都市内が一望できる絶景地に立つ時宗寺院。805年に天台宗の最澄が創建した。建礼門院が平家滅亡後、当寺で落飾したことで知られ、「平家物語」など、文に詩に歌によく詠われたゆかりの寺である。

長楽寺

長楽寺について

基本情報

山号寺号
黄台山長楽寺(おうだいざんちょうらくじ)
宗派
時宗
創建
805年(延暦二十四年)
開基
最澄
中興の祖
国阿(こくあ) - 時宗に改宗
本尊
准胝観音(じゅんていかんのん)
札所
洛陽三十三所観音巡礼第七番
駐車場
駐車場なし - 円山公園入口市営駐車場利用
交通機関
市バス祇園下車徒歩7分、京阪祇園四条駅徒歩15分
京住所
京都府京都市東山区八坂鳥居前東入円山町626
サイト
長楽寺

概要

円山公園の奥、長楽寺山の山麓に立ち、京都市内が一望できる絶景地に立つ。 もとは円山公園の大半と大谷本廟の敷地を含む広大な寺領を持った大寺院だった。 寺伝によれば、桓武天皇の勅命により、805年に天台宗の最澄が創建したが、室町初期に国阿が時宗に改宗した。 建礼門院が平家滅亡後、当寺で落飾したことで知られる。 本堂には、建礼門院が、8歳で入水した実子 安徳天皇が最後に着ておられた直衣を16旒の仏幡に縫い菩提を弔った建礼門院唯一の遺宝が展示されている。 古くは「今昔物語」「山家集」「平家物語」など、文に詩に歌によく詠われたゆかりの寺である。

見所

国重要文化財
木造時宗祖師像 7躯 - 金光寺から伝えられたもの。
遊行歴代他阿弥陀仏書状類 - (京都国立博物館寄託)
観光名所
庭園 - 相阿弥が足利義政の命により銀閣寺の庭を作る際に、試作的に作ったと伝えられる。
墓地 - 文人 頼山陽などが眠る。
安徳天皇御衣幡 - 8歳で入水した安徳天皇が最後に着ておられた直衣を16旒の仏幡に縫い菩提を弔った。建礼門院唯一の遺宝。

行事

1月1日~15日
七福神詣で
1月15日
布袋祭 - 甘酒接待。
4/1~5/10
建礼門院御遺宝特別展観
5月3日~5日
筑前琵琶で語る平家物語
10/20~11月末
遊行上人とその秘宝展
11月11日
薄念仏会
11月23日
もみじ祭 - 扇祈願会、京舞奉納。
12月第2日曜日
お炊き上げ
12月大晦日
除夜の鐘

歴史

805年
桓武天皇の勅命により、最澄が、延暦寺別院として創建したと伝わる。
平安時代
勅願所として歴代天皇の帰依深く、本尊は歴代天皇の即位など、勅使が来られた時のみ開帳された。
987年~1011年
一条天皇の御代に、巨勢広高が当寺で地獄変相の壁画を描いたと「今昔物語」に記されている。
1185年
建礼門院が壇ノ浦の戦いに敗れ入水するが助けられ、この寺で落飾し、半年後、大原の寂光院に隠棲した。
鎌倉時代初期
天台宗の隆寛(りゅうかん)が、法然の教えを乞い、専修念仏長楽寺派を創立し浄土宗に改宗した。
1385年
国阿が入寺し、時宗に改宗した。
江戸時代
大谷廟建設の際、幕命により境内を割譲された。
明治4年
境内の大半が円山公園造営地に上地された。
明治23年
伏見城の遺構といわれる西賀茂の正伝寺仏殿を本堂として移築した。
明治41年
時宗の道場が置かれ、七条道場と称された金光寺が統合された。
平成20年
収蔵庫が火災によりほぼ全焼するが、全ての文化財は火災直後に運び出され難を免れた。

撮影後記

 長唄「京の四季」より 「秋は色増す華頂山 時雨をいとふから傘の 濡れてもみじの長楽寺 思ひぞ積もる円山の 今朝も来て見る雪見酒」
 円山公園の賑わいがウソのように円山公園の一角に人知れず佇んでいる古刹。 灯台もと暗しというか、観光スポットのなかにある隠れ観光スポットでしょうか。 晴れたかと思えば雨が降ってくる気まぐれな晩秋の空。 そんなときに訪問したい寺院であります。

更新履歴

2011年10月20日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを東山から移動しました。

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