笠置寺

弥勒大磨崖仏

笠置山にある真言宗寺院。東大寺の良弁や実忠、解脱上人貞慶も住した仏教史上重要な寺院である。また、後醍醐天皇が挙兵した「元弘の乱」の舞台にもなった。境内行場には、花崗岩に彫られた弥勒磨崖仏が鎮座する。

笠置寺

笠置寺について

基本情報

山号寺号
鹿鷺山笠置寺(しかさぎざんかさぎでら)
別称
笠置山寺
宗派
真言宗智山派
創建
682年(白鳳十一年)
開基
伝 大友皇子または天武天皇
中興
貞慶 - 解脱上人。
本尊
弥勒仏
駐車場
有料駐車場あり
交通機関
JR笠置駅徒歩40分
住所
京都府相楽郡笠置町笠置山29
サイト
笠置寺

概要

弥生時代より山岳信仰、巨石信仰の霊地であった笠置山にある真言宗寺院。 「今昔物語」によれば、大友皇子(天智天皇の皇子)が、笠置山で鹿の狩猟の際に、断崖絶壁に阻まれ進退窮したところ山神御加護で救われ、自分の笠を再訪の目印として置き、後に磨崖仏を彫り本尊として創建したと伝わる。 奈良時代、東大寺開山の良弁や弟子の実忠によって、笠置山全体が一大修験行場となり、そこで行われていた行法が東大寺のお水取りの起源といわれる。 平安時代後期の末法思想流布や貞慶(解脱上人)が隠棲し、当寺より宗教改革の運動を展開し、弥勒信仰が最盛期を迎えた。 1331年には、倒幕を企てる後醍醐天皇が笠置山に籠り挙兵したが、一か月で落城し、隠岐へ流罪になる「元弘の乱」の舞台にもなった。 一周800mの行場めぐりでは、花崗岩に彫られた本尊弥勒磨崖仏や虚空蔵菩薩磨崖仏、多くの巨岩巨石が点在している。

見所

国重要文化財
十三重塔 - 木造十三重塔跡に立っている石造十三重塔。鎌倉時代末から室町時代前期の建立。
銅鐘 - 1196年の鋳造。重源が寄進したもの。最下部が六葉形の中国鐘で二本の梵鐘としては珍しい様式。
紙本墨書地蔵講式 - 貞慶の筆。
紙本墨書弥勒講式 - 貞慶の筆。
府文化財
再興勧進状 附笠置寺縁起 1冊 - 室町時代の古文書。
観光名所
本坊 - 昭和54年の建立。旧福寿院。
山門 - 昭和54年の建立。
毘沙門堂 - 平成16年の再建。旧多聞院の本堂。
鐘楼 - 重文の梵鐘が吊るされている。
修行場 - 一周800mの行場めぐり。十三重石塔→正月堂→弥勒磨崖仏(本尊)→千手窟→虚空蔵菩薩磨崖仏→胎内くぐり→太鼓石(たたくと音がする)→平等石(展望所)→東ののぞき→蟻の戸わたり→二の丸のあと→貝吹石(展望所)→後醍醐天皇行在所→西ののぞき(本尊の頭上)→大師堂(旧正月堂跡)→椿本護王宮。
笠置城 - 元弘の乱の際に築城されたとされる。境内に二の丸跡があり、本丸は後醍醐天皇行在所とされた。
笠やん追悼碑 - かつて笠置寺に住んでいた名物猫住職の碑。

歴史

弥生時代
笠置山の巨岩には磐座信仰があったとみられ、大岩石の前から弥生式石剣が発掘された。
648年~672年
「今昔物語」によれば、大友皇子(天智天皇の皇子)が、笠置山で鹿の狩猟の際に、断崖絶壁に阻まれ進退窮したところ山神御加護で救われ、自分の笠を再訪の目印として置いていった。後に磨崖仏を彫り本尊として創建したと伝わる。
682年
「笠置寺縁起」によれば、大海人皇子(後の天武天皇)によって創建された。
724年~749年
「笠置寺縁起」によれば、良弁(東大寺初代別当)が、東大寺開山のため千手窟に籠り修法を行ったと伝わる。
751年~752年
実忠(良弁の弟子)が、龍穴に籠り、洞窟奥深くの弥勒菩薩の住む兜率天四十九院をめぐり、そこで行われていた行法を人間界に伝えたといわれる。(東大寺のお水取りの起源)
822年
「笠置寺縁起」によれば、弥勒磨崖仏が刻まれた。
平安時代後期
末法思想流布により、弥勒信仰が高まった。
1191年
貞慶(解脱上人)が隠棲し、当寺より宗教改革の運動を展開し、弥勒信仰が隆盛した。
1331年
倒幕を企てる後醍醐天皇が笠置山に籠り挙兵したが、一か月で落城し、隠岐へ流罪になった(元弘の乱)。笠置寺は兵火で炎上し、弥勒磨崖仏も石の表面が剥離した。
室町時代
焼失と再興を繰り返した。
江戸時代前期
笠置は伊勢国津藩の所領になり、藤堂高次によって再興された。
江戸時代中期
荒廃し、福寿院、多聞院、文殊院、知足院の4院のみが残された。
明治維新
廃仏毀釈で無住になった。
明治前期
旧福寿院を本坊として復興した。

撮影後記

 標高300メートルほどの笠置山に立つ寺院で、山頂一帯が府立笠置山自然公園になっています。 この地は、月ヶ瀬街道と伊賀街道の交わる要衝で、どちらかといえば、京都より奈良との関わりが深い場所です。
 境内は京都の寺院でも異彩を放ち、修験道の行場のような雰囲気です。 行場巡りの途中には、高さ16メートルの弥勒大磨崖仏や高さ12メートルの虚空蔵菩薩磨崖仏の磨崖仏が姿を現します。 本尊の弥勒大磨崖仏は、光背の窪み以外に仏像の線刻が確認できませんが、元弘の変の兵火で表面が失われたそうです。 ちなみに、宇陀市大野寺の対岸に見られる弥勒磨崖仏は、この磨崖仏を模したものと云われています。

更新履歴

2013年1月24日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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