京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
弥生時代より山岳信仰、巨石信仰の霊地であった笠置山にある真言宗寺院。 「今昔物語」によれば、大友皇子(天智天皇の皇子)が、笠置山で鹿の狩猟の際に、断崖絶壁に阻まれ進退窮したところ山神御加護で救われ、自分の笠を再訪の目印として置き、後に磨崖仏を彫り本尊として創建したと伝わる。 奈良時代、東大寺開山の良弁や弟子の実忠によって、笠置山全体が一大修験行場となり、そこで行われていた行法が東大寺のお水取りの起源といわれる。 平安時代後期の末法思想流布や貞慶(解脱上人)が隠棲し、当寺より宗教改革の運動を展開し、弥勒信仰が最盛期を迎えた。 1331年には、倒幕を企てる後醍醐天皇が笠置山に籠り挙兵したが、一か月で落城し、隠岐へ流罪になる「元弘の乱」の舞台にもなった。 一周800mの行場めぐりでは、花崗岩に彫られた本尊弥勒磨崖仏や虚空蔵菩薩磨崖仏、多くの巨岩巨石が点在している。
標高300メートルほどの笠置山に立つ寺院で、山頂一帯が府立笠置山自然公園になっています。
この地は、月ヶ瀬街道と伊賀街道の交わる要衝で、どちらかといえば、京都より奈良との関わりが深い場所です。
境内は京都の寺院でも異彩を放ち、修験道の行場のような雰囲気です。
行場巡りの途中には、高さ16メートルの弥勒大磨崖仏や高さ12メートルの虚空蔵菩薩磨崖仏の磨崖仏が姿を現します。
本尊の弥勒大磨崖仏は、光背の窪み以外に仏像の線刻が確認できませんが、元弘の変の兵火で表面が失われたそうです。
ちなみに、宇陀市大野寺の対岸に見られる弥勒磨崖仏は、この磨崖仏を模したものと云われています。
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