建仁寺霊源院

五山文学の最高峰

臨済宗大本山建仁寺の塔頭。 応永年間(1394~1428年)初期、龍山徳見を勧請開山として、弟子の一庵一麟が創建した。室町時代中期まで五山文学の最高峰の寺院のひとつで、「建仁寺の学問面」の中核を担った。

霊源院

霊源院について

基本情報

寺号
霊源院(れいげんいん)
宗派
臨済宗建仁寺派
寺格
建仁寺塔頭
創建
1394年~1428年(応永年間)
開山
龍山徳見
開基
一庵一麟
本尊
薬師如来
駐車場
有料駐車場あり - 建仁寺駐車場利用。
交通機関
清水道バス停徒歩5分
住所
京都府京都市東山区小松町

概要

臨済宗大本山建仁寺の塔頭のひとつ。 応永年間(1394~1428年)初期、龍山徳見を勧請開山として、弟子の一庵一麟が創建した。 室町時代中期まで両足院と共に五山文学の最高峰の寺院で、「建仁寺の学問面(がくもんづら)」の中核を担った。 五山文学を代表する高僧の肖像彫刻 木造中巌円月坐像は、南北朝時代の傑作で重文。 平成8年の修理の際に胎内から「毘沙門天立像」が発見された。

見所

国重要文化財
木造中巌円月坐像 - 五山文学を代表する高僧の肖像彫刻で、南北朝時代の傑作。平成8年の修理の際に胎内から「毘沙門天立像」が発見された。その左手の水晶の中には、最澄が持ち帰ったという仏舎利が納められている。
観光名所
方丈 - 「也足軒」と「妙喜庵」という二つの茶室を備える。
甘露庭 - 方丈の南と西に苔地に甘茶を植えた枯山水庭園がある。

歴史

1394~1428年
応永年間初期、龍山徳見を勧請開山として、弟子の一庵一麟が「霊泉院」を創建した。
1400年頃
在先希譲により、一庵一麟の弟子 瑞巌龍惺の軒号「霊源」に因み、「霊源院」に改めた。
室町時代
五山文学の最高峰の寺院のひとつで、「建仁寺の学問面」の中核となった。
1532~1555年
天文年間、焼失した。
1596~1615年
慶長年間、再建された。
明治5年
祇園町南の窮民産業所に境内地を上知し、妙喜庵跡の現在地に移った。

撮影後記

 中巌円月坐像と胎内仏の毘沙門天立像が、約70年ぶりに寄託先の京都国立博物館から里帰りしたということで、現在、「京の冬の旅」で特別公開中です。 専門道場の建仁僧堂(霊洞院)近くの奥まったところにあるので、建仁寺のなかでは目立たない塔頭です。 しかし、両足院の龍山徳見を勧請開山としていることから、両足院と共に五山文学の最高峰として多くの高僧を輩出した由緒あるお寺であります。 坐像の中巌円月をはじめ、慕哲龍攀(りゅうはん)は漢詩に優れ、幼い一休宗純に漢詩を教えたそうです。

更新履歴

2015年2月28日
初版をアップロードしました。

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