本能寺

本能寺の変

法華宗本門流の大本山で、1415年、日降によって創建された。本能寺の変で織田信長が明智光秀によって襲撃され、自刃した寺として世に名高いが、現伽藍は、後に豊臣秀吉の都市改造政策により移転再建したものである。

本能寺

本能寺について

基本情報

寺号
本能寺(ほんのうじ)
宗派
法華宗本門流
寺格
大本山
創建
1415年(応永22年)
開山
日隆(にちりゅう)
開基
山本宗句
本尊
十界曼荼羅
札所
洛中法華21ヶ寺
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
地下鉄京都市役所前駅すぐ
住所
京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
サイト
ホテル本能寺

概要

法華宗本門流の大本山で、1415年、日降によって創建された。 創建時は「本応寺」と号していたが、1433年、六角大宮に移転した際に「本能寺」と改め、更に1545年、油小路蛸薬師一帯に寺領を得て塔頭も30院以上建てられた。 本寺は、本能寺の変で織田信長が明智光秀によって襲撃され、自刃したところとして世に名高いが、その折り、大伽藍は灰燼に帰した。 その後、豊臣秀吉の都市改造政策により、現在の地に移転再建したが、江戸時代後期に天明・元治の大火にかかり、堂宇は焼亡し、現在の本堂は昭和3年に再建されたものである。 境内には、織田信長及びその側近達の供養塔がある。

見所

国宝
伝藤原行成筆書巻 - 11世紀の遺品で、三蹟 藤原行成の筆といわれる。「本能寺切」(ほんのうじぎれ)とも称される。(京都国立博物館寄託)
国重要文化財
紙本墨書花園天皇宸翰御賀札
銅鏡 - (京都国立博物館寄託)
市保存樹
本能寺のイチョウ - 織田信長公廟の近くに立ち、江戸初期には植えられていたといわれる。天明の大火では「火伏せイチョウ」の言い伝えがある。
観光名所
本堂 - 昭和3年の再建。日蓮が定めた久遠常住具足の「南無妙法蓮華経」の十界大曼荼羅を安置。
織田信長公廟 - 織田信長の三男 信孝が、本能寺の変から1ヵ月後に建立。信長所持の太刀が納められている。
開山廟 - 左が日隆、右が日像。
総門 - 門前に日蓮聖人像が立つ。
大寶殿宝物館 - 信長所持と伝わる釜、茶碗、太刀などが展示。
臥牛石(がぎゅうせき) - 加藤清正寄進といわれる。
文人画家 浦上玉堂、浦上春琴父子の墓
塔頭
西から、恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源妙院、龍雲院が、境内南側に一列に並んでいる。

行事

6月2日
信長まつり - 織田信長の命日6月2日に近い土日、信長公忌法要、福井県織田町の明神ばやし、囲碁大会、日舞などが行われる。
9月15日
放生会

歴史

1415年
日隆が、油小路高辻と五条坊門の間(現在の佛光寺のあたり)に、「本応寺」(ほんのうじ)を創建したのが由来。
1418年
日隆は、妙本寺(妙顕寺)5世 月明と法華経の解釈をめぐり対立したため破却され、河内三井の尼崎へ移った。
1429年
帰京した日隆は、大檀那の山本宗句の援助により、千本極楽付近の内野に本応寺を再建した。
1433年
日隆は、足利直義の子 如意王丸から六角大宮の西、四条坊門に土地の寄進を受け、「本能寺」と改号した。
室町時代後期
「本門八品」の法華経弘通の霊場として栄え、洛中法華21ヶ寺の一つとなった。足利将軍家の庇護を受け、寺域は方4町を有した。
1536年
延暦寺の僧兵の攻撃(天文法華の乱)で、堺の顕本寺に避難した。
1547年
京に戻り、伏見宮第5代邦高親王の子 日承が再興。四条西洞院・油小路・六角・錦小路の辺り(旧本能小学校のあたり)に寺領を得て塔頭も30院以上建てられた。
1582年
日承に帰依し、本能寺を上洛中の宿所としていた織田信長が、明智光秀軍に包囲され自刃し、堂宇が焼失した。(本能寺の変)
1589年
豊臣秀吉の都市改造政策により、現在地に移転した。
1592年
伽藍の再建が行われ、御池通と京都市役所を含む寺領だった。
1615年
江戸幕府から朱印地40石を与えられ、末寺92を数える大寺院となった。
1788年
天明の大火で焼失。
1864年
禁門の変(蛤御門の変)のどんどん焼けにより堂宇を焼亡。
昭和3年
本堂が再建された。
平成10年
大寶殿宝物館が建立。

撮影後記

 御存知「本能寺の変」の本能寺で、京都市役所の御池通を挟んだ南側に建っています。 境内周囲には近代的なビルが立ち並び、伽藍には修学旅行生御用達の「ホテル本能寺」もあります。 よく朝早くから、修学旅行生のグループが本堂の前で記念撮影しています。
 ただ、信長が自刃した場所は当地ではなく、四条堀川近くの堀川高校の本能学舎や老人ホームが建っている辺りになります。 当寺は、その後に移転再建されたものです。 さらに本能寺は、天文法華の乱や大火騒乱の類焼などで、7度もの再建を繰り返しているそう。 寺名の石柱の本能寺の「能」の字の「ヒ」が「去」のような字に替えられている(ヒ(火)が去る)のが興味深いところです。

更新履歴

2012年2月27日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛中から移動しました。

本能寺紀行のコメント

コメント欄

突然のお願い失礼いたします。
大変美しい写真を拝見しぜひにとお願いがありコメント欄をお借りしました。
私どものパソコンスクールにおいて、プレゼンテーションの大会があります。
毎年行われているもので、今年のテーマは「日本」。誇るべき日本の紹介を子供たちが作成していますが、現小学6年生のこの作品で、織田信長を紹介するに当たり、本能寺の写真を使わせていただけたらと思っております。
作品は、3月を締切とし、5月に地区大会、7月に全国大会に向けて作成されています。
もし、差支えないようでしたら、参考掲載についてご検討いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

パソコンスクールアビバキッズ
高山北教室
袈裟丸 聡美

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