京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
法華宗本門流の大本山で、1415年、日降によって創建された。 創建時は「本応寺」と号していたが、1433年、六角大宮に移転した際に「本能寺」と改め、更に1545年、油小路蛸薬師一帯に寺領を得て塔頭も30院以上建てられた。 本寺は、本能寺の変で織田信長が明智光秀によって襲撃され、自刃したところとして世に名高いが、その折り、大伽藍は灰燼に帰した。 その後、豊臣秀吉の都市改造政策により、現在の地に移転再建したが、江戸時代後期に天明・元治の大火にかかり、堂宇は焼亡し、現在の本堂は昭和3年に再建されたものである。 境内には、織田信長及びその側近達の供養塔がある。
御存知「本能寺の変」の本能寺で、京都市役所の御池通を挟んだ南側に建っています。
境内周囲には近代的なビルが立ち並び、伽藍には修学旅行生御用達の「ホテル本能寺」もあります。
よく朝早くから、修学旅行生のグループが本堂の前で記念撮影しています。
ただ、信長が自刃した場所は当地ではなく、四条堀川近くの堀川高校の本能学舎や老人ホームが建っている辺りになります。
当寺は、その後に移転再建されたものです。
さらに本能寺は、天文法華の乱や大火騒乱の類焼などで、7度もの再建を繰り返しているそう。
寺名の石柱の本能寺の「能」の字の「ヒ」が「去」のような字に替えられている(ヒ(火)が去る)のが興味深いところです。
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突然のお願い失礼いたします。
大変美しい写真を拝見しぜひにとお願いがありコメント欄をお借りしました。
私どものパソコンスクールにおいて、プレゼンテーションの大会があります。
毎年行われているもので、今年のテーマは「日本」。誇るべき日本の紹介を子供たちが作成していますが、現小学6年生のこの作品で、織田信長を紹介するに当たり、本能寺の写真を使わせていただけたらと思っております。
作品は、3月を締切とし、5月に地区大会、7月に全国大会に向けて作成されています。
もし、差支えないようでしたら、参考掲載についてご検討いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
パソコンスクールアビバキッズ
高山北教室
袈裟丸 聡美