即成院

阿弥陀如来と二十五菩薩

真言宗泉涌寺の塔頭。1087年、橘俊綱が伏見に阿弥陀堂を建立したのが起源。廃仏毀釈により泉涌寺山内に移転した。現世極楽浄土に導く阿弥陀如来と二十五菩薩群像(重文)は唯一のもの。また那須与一の墓がある。

即成院

即成院について

基本情報

山号寺号
光明山即成院(こうみょうざんそくじょういん)
別称
那須の与一さん
宗派
真言宗泉涌寺派
寺格
泉涌寺塔頭
創建
1087年(寛治元年)
開山
伝 源信 - 恵心僧都。
開基
橘俊綱 - 関白藤原頼通の子。
本尊
阿弥陀如来
札所
京都泉山七福神巡り(福禄寿)
駐車場
無料駐車場あり - 境内に駐車。
交通機関
泉涌寺道バス停徒歩5分、京阪・JR東福寺駅徒歩10分
住所
京都府京都市東山区泉涌寺山内町28
サイト
即成院

概要

真言宗泉涌寺派総本山泉涌寺の塔頭のひとつ。 1087年(寛治元年)関白藤原頼通の次男で歌人の橘俊綱が、伏見桃山の山荘に阿弥陀堂を建立し、持仏堂として阿弥陀如来像を安置したのが起源。 豊臣秀吉の伏見城築城にともない伏見大亀谷に移転した。 明治維新後の廃仏毀釈により無住となり、泉涌寺塔頭の法安寺と合併して、明治35年に現在地で再興された。 現世極楽浄土に導く本尊阿弥陀如来坐像並びに二十五菩薩坐像(重文)は、藤原期の造顕で、観音・勢至をはじめ歌舞音曲のすべてが揃った立体像は現存例は他にない。 毎年10月第3日曜日に、阿弥陀如来の化身である大地蔵菩薩を先頭に二十五菩薩の行列が本堂へと練り歩く。 また那須与一宗高の墓が祀られ、皆が扇に願い事を朱色で筆書きし、「願いが的へ」と与一の石塔に奉納する。

見所

国重要文化財
木造阿弥陀如来及び二十五菩薩像 26躯 - 本堂雛壇に4段に分けて安置されている群像で旧国宝。本尊阿弥陀如来像を含む11体が平安時代の作で、戦禍で失われた残り15体は江戸時代の補作。亡者を西方極楽浄土へ導くさまを表現したもので、等身大の立体像で表したものは現存例は他にない。
観光名所
本堂 - 本尊阿弥陀如来像、脇侍に観音菩薩像と勢至菩薩像、その周囲に楽器を奏でる23体の菩薩像が安置されている。
地蔵堂 - 地蔵堂を現世に本堂を極楽浄土に見立てている。
山門 - 屋根上に翼を広げた鳳凰が一羽止まっている。
那須与一宗高の墓 - 本堂裏の鎌倉時代作の巨大な石造宝塔。兄の那須資之が功照院を建立し、当寺に分骨を埋葬したという。皆が扇に願い事を朱色で筆書きし、「願いが的へ」と与一の石塔に奉納する。

行事

1月成人の日
泉山七福神巡り - 第一番として福禄寿を奉祀し、福笹の授与を行う。
5月第4日曜日
採灯大護摩供法要
7月16日
地蔵盆法要
8月8日
那須与一御命日法要
10月第3日曜日
二十五菩薩お練り供養 - 地蔵堂を現世に本堂を極楽浄土に見立てた板橋が架けられ、御詠歌講の来迎和讃にあわせて阿弥陀如来の化身である大地蔵菩薩を先頭に二十五菩薩の行列が本堂へと練り歩く。

歴史

992年
恵心僧都源信が開創したとも伝わる。
1087年
関白藤原頼通の次男 橘俊綱が、伏見桃山の山荘に阿弥陀堂を建立し、持仏堂として「即成就院」と称した。「伏見寺」とも称された。
1594年
豊臣秀吉の伏見城築城にともない、伏見大亀谷に移転させられた。
明治維新
廃仏毀釈により無住となり、仏像は泉涌寺に遷された。
明治20年
泉涌寺大門前に仮堂が建設されて復興した。
明治32年
泉涌寺塔頭の法安寺と合併した。
明治35年
大門前から総門近くの現在地に移転した。
昭和16年
「即成院」の寺号に復古した。

撮影後記

 不謹慎ではありますが、通称「ぽっくり寺」とも。 誰しも、人生上手くいかない時や不治の病に苦悩した際、ポックリ逝きたいと願うものです。 そんな寺が、御寺泉涌寺の入口にあたる総門左手にあるのです。 「即成院」という寺号からも、即、成仏することさえも信仰により成願するとされています。 山門の上には一羽の鳳凰が、翼を羽ばたかせて西方を向き止まっていたのが印象的です。

更新履歴

2015年10月12日
初版をアップロードしました。

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