来迎院

天台声明

天台宗大原寺上院にあたる。 平安時代初期、円仁が、日本音楽の源流といわれる声明の修練道場として創建したものである。その後、融通念仏の開祖である良忍が再興して、天台声明の根本道場として栄えた。

大原寺来迎院

大原寺来迎院について

基本情報

山号寺号
魚山来迎院(ぎょざんらいごういん)
寺格
大原寺上院
創建
851年~854年(仁寿年間)
開山
円仁 - 慈覚大師。
本尊
薬師如来
駐車場
駐車場なし - 周辺に有料駐車場多数あり。
交通機関
京都バス大原下車徒歩15分
住所
京都府京都市左京区大原来迎院町537

概要

天台宗大原寺上院にあたり、延暦寺の別院である。 仁寿年間(851年~854年)、円仁が、入唐して学んだ梵語の仏教歌謡である梵唄(ぼんばい)などの声明(しょうみょう)の修練道場として創建したものである。 声明とは、インドで始まった学問の一つであるが、日本では仏をたたえる歌謡や経を読む音律として広がり、仏教のほか民謡などの日本音楽にも大きな影響を及ぼし、日本音楽の源流といわれる。   その後、平安時代末期に、融通念仏の開祖である良忍が再興して、円仁に始まる声明を大成した。 この声明は「魚山流」と呼ばれ、以後、天台声明の根本道場として栄えた。

見所

国宝
伝教大師度縁案並僧綱牒 3通 - (東京国立博物館寄託)
日本霊異記 2帖 - (京都国立博物館寄託)
国重要文化財
本尊 - 木造薬師如来坐像・木造阿弥陀如来坐像・木造釈迦如来坐像の三尊像。藤原期作。
来迎院如来蔵聖教文書類 - 経蔵に保存されてきた聖教(しょうぎょう)や文書(もんじょ)など。
三重塔 - 良忍の墓とされる三重石塔。鎌倉時代初期の様式。
市文化財
梵鐘 - 室町時代鋳造。
観光名所
本堂 - 1533年の再建。安置されている本尊の三尊坐像は平安期のもの。
鎮守堂
地蔵堂
鐘楼 - 梵鐘は室町時代「永享七年」の刻銘。
獅子飛石 - 獅子が、良忍の唱える声明に陶酔し堂内を駆けめぐって岩になったといわれる。
聖応大師八百歳賛碑
音無の滝 - 律川上流の滝。良忍が滝に向って声明を唱えると、声明の音律と融合し水音が消えたといわれる。

行事

毎週日曜日
声明会 - 午後1時より声明を聴くことができる。
1月2日
修正会 - ササラと棒を持ち「修正会」と声を上げながら飛んだり跳ねたりし、無病息災を祈祷する。
5月
寺宝特別公開
8月15日
盂蘭盆会
11月
寺宝特別公開

歴史

851年~854年
慈覚大師 円仁が、声明の修練道場として開山した。
1013年
寂源(じゃくげん)が、下院にあたる勝林院を建立し、その後49坊が林立し「魚山大原寺」として興隆した。
1109年
融通念仏の開祖として知られる良忍が入山し、円仁が伝えた声明を統一し、魚山流声明を集大成した。
1117年
良忍が、念仏三昧中に阿弥陀仏から融通念仏の教えを授けられたといわれる。
1132年
良忍が当院で死去した。
1156年
比叡山が、声明の根拠地である大原に梶井政所(三千院)を設置し、魚山大原寺の管理を行う。
1426年
火災で、堂塔伽藍を焼失。
1532~1555年
天文年間、本堂などが再建された。

撮影後記

 三千院の石段前から呂川に沿って山道を上ったところにある寺院です。 三千院門前から道を折れ、こちら側に来る人は少なく、賑わいをみせる門前とは対照的に境内は静かです。
 開山の円仁こと慈覚大師は、天台宗を開宗した最澄の直弟子で、唐の五台山のひとつである魚山で、14年間の修学をしました。 山号の魚山はこれに由来し、三千院や勝林院など山号はみな魚山です。 三千院一帯は来迎院町と勝林院町に分かれ、勝林院と共にかつては三千院よりも由緒ある寺院であることが想像できます。

更新履歴

2012年6月8日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

来迎院紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野