大将軍八神社

大将軍神像

平安京造営の際、王城鎮護のために都の四方に祭祀した大将軍社のひとつ。神仏分離により、陰陽道の八将神に代わって、素盞鳴尊と御子神八柱が合祀された。大将軍神像80躯は、国の重要文化財に指定されている。

大将軍八神社

大将軍八神社について

基本情報

社名
大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)
別称
大将軍さん
創建
794年(延暦13年)
主祭神
素盞嗚命(スサノオ)、御子神八柱
旧社格
府社
例祭
10月第3日曜
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
北野天満宮前徒歩3分
住所
京都府京都市上京区西町55
サイト
大将軍八神社

概要

平安京造営の際、桓武天皇が大内裏鎮護のために都の四方に祭祀した大将軍社のひとつで、大内裏北西角に 「大将軍堂」を建て、方位の厄災を解除する社として創建されたのが起源。 江戸時代になると大将軍村の鎮守社として祀られるようになり、明治の神仏分離令により、陰陽道の暦神(八将神)に代わって、素盞鳴尊と御子神八柱が合祀され、「大将軍八神社」と改められた。 境内には平安時代中期から末期に奉製された木造大将軍神像が収蔵され、武装像、束帯像、童子像の80躯が国の重要文化財に指定されている。 また、陰陽道に基づく古天文暦道資料も蔵されている。

見所

国重要文化財
木造大将軍神像 80躯 - 平安時代中期から末期の作。桧、欅で作られた武装像50体、束帯像20体、童子像1体。(東京国立博物館2躯、京都国立博物館1躯寄託)
府文化財
皆川家天文暦道関係資料 - 室町時代から明治時代の天文暦道関係資料。
観光名所
本殿 - 昭和4年の再建。八棟権現造。
方徳殿 - 昭和49年に神饌所を取り壊し造営された収蔵庫。木造大将軍神像や天文暦道関係資料などを収蔵。
神門 - 門前に方除厄除12社参りの天保11年の標石が立つ。
招霊ノ木 - 御神木のオガタマノキ。
境内社 - 大金神社、歳徳社、地主社(大杉大明神)、五社(1718年の勧請。恵比寿社、稲荷社、天満宮、長者社、金毘羅社)、三社(命婦社、厳島社、猿田彦社)。

祭事

1月1日
歳旦祭
2月3日
節分星祭 - 古神札焚上式、甘酒無料接待、本命星に値する御札授与。
5月1~5日
神像拝観 - 方徳殿に安置されている木造大将軍神像が特別公開される。
6月30日
夏越の大祓
10月第3日曜
天門祭(大将軍祭) - 宵宮に大蛇餅を奉納し、夜店が出店する。
11月1~5日
神像拝観 - 方徳殿に安置されている木造大将軍神像が特別公開される。
11月23日
お火焚祭

歴史

794年
平安京造営の際に、桓武天皇が王城鎮護のために大内裏北西角に 「大将軍堂」を建て、方位の厄災を解除する社として創建された。
1340年
大将軍堂がこれより100年間、祗園社の管理下におかれた。
江戸時代
大将軍村の鎮守社として祀られるようになった。
明治維新
神仏分離令により、陰陽道の暦神(八将神)は廃されて、素盞鳴尊と御子神八柱が合祀され、「大将軍八神社」と改められた。

撮影後記

 大将軍とは陰陽道において、四方を司る神とされ、京都市内には他所にも多くの大将軍神社が鎮座しています。 東方には東三条大将軍神社、南方には藤森神社境内社の大将軍社、北方には今宮神社境内社の大将軍社と西賀茂大将軍神社があります。

更新履歴

2015年2月22日
初版をアップロードしました。

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