霊雲院

九山八海の庭

臨済宗大本山東福寺の塔頭のひとつ。1390年、五山文学の高僧である岐陽方秀の退隠所として創建された。書院前庭の枯山水「九山八海の庭 」は、江戸時代中期に作庭された名庭で、昭和45年に重森三玲が復元した。

東福寺霊雲院

霊雲院について

基本情報

寺号
霊雲院(れいうんいん)
宗派
臨済宗東福寺派
寺格
東福寺塔頭
創建
1390年(明徳元年)
開山
岐陽方秀 - 東福寺80世、天龍寺64世、南禅寺96世。
本尊
文殊菩薩
札所
京都十三仏霊場 第3番(文殊菩薩)
駐車場
無料駐車場あり - 東福寺駐車場利用。
交通機関
JR東福寺駅徒歩7分、京阪東福寺駅徒歩7分
住所
京都府京都市東山区本町15丁目801

概要

臨済宗大本山東福寺の塔頭のひとつ。 1390年(明徳元年)東福寺80世 岐陽方秀の退隠所として「不二軒」が創建されたことに由来する。 岐陽和尚は明からもたらされた四書集註に和点を加えたことで、足利義持に帰依された五山文学の高僧である。 書院南庭の枯山水庭園は「九山八海(くせんはっかい)の庭 」と称される江戸時代中期に作庭された名庭で、昭和45年に重森三玲が復元した。 肥後藩主細川忠利から寄進された中央の遺愛石を須弥山に見立て、他八つの山と八つの海がとりまく仏教の世界観「九山八海」を表現している。

見所

国重要文化財
絹本著色岐陽和尚像 - 応永27年(1420年)の自賛。(京都国立博物館寄託)
宋版仏法大明録 - 南宋時代。(京都国立博物館寄託)
宋版十諫書 - 南宋時代。(京都国立博物館寄託)
観光名所
書院 - 書院の南側と西側に枯山水庭園が広がる。日露戦争時にロシア兵捕虜収容所となり、彼らが望郷の念にかられて作ったバラライカなどの弦楽器が展示されている。
九山八海の庭 - 書院南庭の枯山水庭園。江戸時代中期に作庭され、重森三玲が昭和45年に復元した。中央の遺愛石を須弥山に見立て、他八つの山と八つの海がとりまく仏教の世界観「九山八海」を表現している。
臥雲の庭 - 書院西庭。重森三玲によって昭和46年に作庭された。渓流の流れと湧き上がる雲を表現している。
茶室 観月亭 - 秀吉の北野大茶会当時のものを移築した珍しい二階建ての茶室。

歴史

1390年
東福寺80世 岐陽方秀の退隠所として「不二軒(庵)」が創建された。
1394年
明からもたらされた四書集註を岐陽方秀が和点を加えたことで、足利義持に帰依された。
1473年
霊雲院に改められた。
1624~1644年
寛永年間、第7世湘雪守元に帰依した肥後藩主細川忠利・光尚父子から、須弥台と遺愛石を寄進された。
江戸時代中期
九山八海庭が作庭された。
幕末
西郷隆盛と月照が密議を交わしたという。
明治37年~38年
日露戦争でロシア人捕虜の収容所となった。

撮影後記

 以前アップしましたが、妙心寺にも同号の塔頭がありますね。 東福寺の霊雲院は毎日公開しているわけではなく、基本的に土日に拝観しています。 ただ土日に必ず公開しているわけでもなさそうで、私の場合タイミングが悪いのか、何度か門前払いとなりました。 遠方から拝観したい方は、向かいの大機院に問い合わせして、確認をとってから訪れた方がいいでしょう。

更新履歴

2015年10月13日
初版をアップロードしました。

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