観智院

真言宗全体の勧学院

1359年創建の真言宗東寺の塔頭で別格本山。密教の研究施設として文書類1万5千点以上が収集され、真言宗全体の勧学院と位置づけられた。客殿は国宝に指定され、前庭に空海の故事に倣い作庭された五大の庭が広がる。

観智院

観智院について

基本情報

寺号
観智院(かんちいん)
宗派
東寺真言宗
寺格
別格本山、教王護国寺(東寺)塔頭
創建
1359年(正平14年)
開山
杲宝(ごうほう)
開基
後宇多法皇
本尊
五大虚空蔵菩薩像
駐車場
有料駐車場あり - 東寺駐車場利用。
交通機関
当時東門バス停すぐ、近鉄東寺駅徒歩11分
住所
京都府京都市南区九条町403

概要

真言宗東寺の塔頭で別格本山。 東寺の三宝のひとり杲宝が、1359年に子院として創建し、2世の賢宝をはじめ数多の学僧を輩出した。 密教の研究施設として文書類1万5千点以上が収集され、真言宗全体の勧学院と位置づけられた。 1605年の再建の国宝客殿は、中世の住宅様式から近世の書院造の移行期の建築様式で、伝宮本武蔵筆の「鷲の図」や襖絵「竹林図」がある。

見所

国宝
客殿 - 伏見大地震で倒壊し、北の政所ねねの寄進による1605年の再建。武家書院造で、中世の住宅様式から近世の書院造の移行期の建築様式。伝宮本武蔵筆の「鷲の図」や襖絵「竹林図」がある。
東宝記 - 杲宝によって記された東寺創建から室町時代に至る寺史。2世賢宝により補足完成された。(東寺宝物館蔵)
国重要文化財
木造五大虚空蔵菩薩像 - 唐代末の作で、長安の青龍寺金堂の本尊だった請来仏5躰。虚空蔵菩薩の5つの無尽の智恵を5躰の菩薩像で表したものといわれる。
東寺観智院伝来文書典籍類 - (京都府立総合資料館蔵)
観光名所
本堂(仏殿) - 五大虚空蔵菩薩像(金剛虚空蔵(獅子)、宝光虚空蔵(象)、法界虚空蔵(馬)、業用虚空蔵(孔雀)、蓮華虚空蔵(迦楼羅))が安置されている。
楓泉観(ふうせんかん) - 本堂北側にある4畳半の茶室。狩野氏信筆の「楼閣山水図」、南画の中林竹洞筆の「秋草図」の襖絵などがある。
書院 - 「春の朝」「初夏の芽」「秋の音」「深雪」と題される部屋がある。
五大の庭 - 客殿前の枯山水庭園。唐より帰国の空海が、荒れ狂う海で守護の海神に護られて無事に帰還される姿が表されている。

行事

3/20日~5/25日
春季特別公開
9/20日~11/25日
秋季特別公開

歴史

847年
山科安祥寺の恵運が、唐から五大虚空蔵菩薩像を持ち帰り、安祥寺金堂に安置された。
1308年
後宇多法皇が東寺興隆を発願し、住坊十数院の建立が予定された。
1359年
杲宝が東寺の子院として創建し、東寺教学の基礎を築き始めた。
1376年
第二世賢宝が安祥寺から五大虚空蔵菩薩を遷し本尊とした。
1596年
客殿が伏見大地震により倒壊した。
1605年
客殿が北の政所ねねの寄進により再建された。
1609年
徳川家康が黒印状をもって、真言宗の勧学院と定めた。

撮影後記

 東寺の北大門を出てすぐ右側に位置する東寺の塔頭です。 塔頭寺院ですが、別格本山となっていて、寺格の高さが伺えます。 昔はこの辺りに塔頭寺院が数多くあったそうで、今は北側にもう一院の宝菩提院を残すのみです。
 また、北大門から八条通に面する北惣門までの道を「櫛笥(くしげ)小路」と云って、平安京の小路のなかで唯一そのままの幅で残っているものなのだそう。 小路といっても、相当に幅が広いものです。

更新履歴

2014年12月15日
初版をアップロードしました。

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