清水寺

清水の舞台

法相宗(南都六宗の一)系の古刹。平安遷都前からの歴史をもつ数少ない寺で、世界遺産に登録されている。清水山を背景に「清水の舞台」で名高い舞台造の本堂をはじめとする堂宇が建ち、京都屈指の観光寺院である。

清水寺

清水寺について

基本情報

山号寺号
音羽山清水寺(おとわざんきよみずでら)
宗派
北法相宗
寺格
大本山
創建
伝 778年(宝亀九年)
開山
伝 延鎮(えんちん)
開基
伝 行叡(ぎょうえい)
本尊
千手観音 - 秘仏。
札所
西国三十三箇所観音霊場、法然上人二十五霊跡、洛陽三十三所観音霊場
駐車場
駐車場なし - 付近に有料駐車場、境内に障害者用駐車場あり。
交通機関
清水道または五条坂バス停下車徒歩15分
住所
京都府京都市東山区清水1-294
サイト
清水寺 地主神社

概要

山号を音羽山と称する北法相宗大本山。 本尊は千手観音、開基は延鎮である。 西国三十三箇所観音霊場の第16番札所である。 法相宗(南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安遷都前からの歴史をもつ数少ない寺院で、古都京都の文化財としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。 清水山の山麓に清水の舞台で名高い舞台造りの本堂(国宝)をはじめ、仁王門、馬駐、西門、三重塔、経堂、田村堂、朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院、子安塔(以上重文)のなどの堂宇が建っている。 飛鳥時代、奈良の僧・延鎮上人が「木津川の北流に清泉を求めてゆけ」との霊夢をうけ、音羽山麓の滝のほとりにたどり着き、草庵をむすんだ。 その地で、行叡居士より観世音菩薩の威神力を祈りこめた霊木を授かり、千手観音像を彫作して居士の旧庵にまつったのが、始まりと伝わる。 そして、坂上田村麻呂公が、延鎮上人に会い、殺生の非を諭されたことで上人に帰依する。 上人は坂上公を助け、協力して本堂を広く造りかえた。 810年、北観音寺とする鎮護国家の道場となり、やがて清水寺と号し当時では珍しい私立の寺であった。 奈良興福寺に属し、真言・法相の両宗を兼ね、南都勢力の京都での拠点となり、南都北嶺の争いではたびたび兵火を受けた。 現在の主な堂宇は、1633年に徳川家光が古制に倣い再建したものである。 以上の縁起により、延鎮を開山、田村麻呂を本願と位置づけている。

見所

国宝
本堂 - 徳川家光の寄進で1633年の再建。錦雲渓の崖に懸造りで、釘を一本も使わずに組み上げた、「清水の舞台」で名高い。堂内は、外陣、内陣、内々陣に分かれ、内々陣の大須弥壇上の厨子内に、秘仏本尊の十一面千手観音立像、脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天が安置されている。
国重要文化財
仁王門 - 応仁の乱で焼失、15世紀末に再建され、平成15年に解体修理された。藤原行成筆といわれる扁額が掲げられている。左右両方の狛犬の口が阿形で珍しい。
三重塔 - 1632年の再建。昭和62年の解体修理により総丹塗り、桃山様式の極彩色が復元された。一重内部は拝観できないが、密教仏画が造形され、大日如来が安置されている。
子安塔 - 1500年の再建。聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝わる。明治末期まで仁王門の左手前に建っていた。
奥の院 - 1633年の再建。洛陽三十三所観音霊場第十一番札所。音羽の瀧の真上に建つことから、行叡と延鎮が修行した旧草庵跡と伝えられる。
地主神社 - 清水寺の鎮守社。縁結びの神として人気がある。
阿弥陀堂 - 1633年の再建。平成8年に彩色復元された。法然が、日本で最初に常行念仏道場とした場所であることから、法然上人二十五霊場第十三番札所として多くの参詣を集める。また、洛洛陽六阿弥陀めぐり第三番札所である。
釈迦堂 - 1631年の再建。昭和47年に豪雨で倒壊し、その3年後に復建された。
田村堂 - 1663年再建の開山堂。清水寺創建の大本願 坂上田村麻呂夫妻の像が安置されている。また、開基の行叡と、開山の延鎮も祀られ、特別公開の際に拝観できる。
轟門(とどろきもん) - 1633年再建の中門。門前に梟の手水鉢が置かれ、轟橋が架かる。
朝倉堂 - 1633年の再建。洛陽三十三所観音霊場第十三番札所。越前の朝倉貞景の寄進により、1510年に創建された。
馬駐(うまとどめ) - 嘗て、ここに馬を繋いで徒歩で諸堂を参拝した。応仁の乱後に再建され、平成22年に解体全面修復された。
経堂 - 1633年の再建。平成12年に解体修理が行われた。
西門(さいもん) - 1631年の再建。平成6年、丹塗りと極彩色文様に復元された。ここから眺める西山の日没は素晴らしく、極楽浄土に往生する入口の門、浄土を観想する日想観の聖所であった。
本坊北総門 - 1631~1639年に再建された薬医門で、かつて成就院の正門であった。平成22年、解体修復工事が行われた。
鐘楼 - 1607年の再建で、平成11年に彩色復元された。
梵鐘 - 1478年に改鋳され奉納された四代目梵鐘。宝蔵殿に納められている。鐘楼に吊るされているのは、平成20年に奉納された五代目梵鐘。
春日社 - 室町時代後期に再建。成就院参道に建ち、奈良の春日大明神を勧請して祀った鎮守堂。
木造千手観音坐像 - 奥の院秘仏本尊。洛陽三十三所観音巡礼第十一番札所。鎌倉時代初期の作で慶派の作といわれる。平成15年、243年ぶりに開帳された。
木造十一面観音立像 - 本堂本尊の十一面千手観音立像とは別像。
木造伝・観音菩薩・勢至菩薩立像 - もと阿弥陀堂安置。
木造大日如来坐像 - もと真福寺大日堂安置。
木造毘沙門天立像 - 慈心院所有。
渡海船額末吉船図3面
渡海船額角倉船図
板絵朝比奈草摺曳図 - 伝 長谷川久蔵筆。市内の社寺に残る大絵馬のうち最古のもの。
鉄鰐口 - もと阿弥陀堂所在。
板絵朝比奈草摺曳図 - 伝 長谷川久蔵筆。
木造伝観音菩薩立像 - (東京国立博物館寄託)
木造伝勢至菩薩立像 - (東京国立博物館寄託)
国名勝
成就院庭園 - 江戸時代初期の相阿弥作庭で、小堀遠州の補修ともいわれる。心字池に映る月影が見事なことから「月の庭」と称される。
観光名所
十一面千手千眼観世音菩薩 - 本堂の秘仏本尊。33年に一度だけ御開扉される。秘仏西国三十三所観音霊場 第16番札所。洛陽三十三所観音巡礼第12番札所。
御前立(おまえだち) - 本堂の秘仏本尊厨子前に安置されている。本尊を写した姿をしている。
音羽の滝 - 行叡と延鎮が観音行を修練したと伝わる清水寺開創の起源で、寺号の由来となったとされる。3本の筧から流れ落ちている「黄金水」「延命水」とも称される霊水を柄杓に汲み、所願成就を祈願するため、連日、行列ができる。
善光寺堂 - 洛陽三十三所観音巡礼第十番札所。如意輪観音菩薩が安置されている。
百体地蔵堂 - 夏に地蔵盆会が行われる。
中興堂 - 中興の祖 大西良慶の御霊屋。平成9年の建立。
仏足石 - 朝倉堂の東庭に立つ釈尊の両足形を陰刻した石。平景清の足形とも伝わる。
濡れ手観音 - 奥の院の裏側、石の玉垣にかこまれた小池中に立つ。水垢離の行を本人に代わって行ってくれ、所願成就を祈願する。
アテルイ・モレの碑 - 征夷大将軍 坂ノ上田村麻呂の軍門に下って処刑された蝦夷の首長・阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の石碑。平成6年に建立。
大講堂 - 昭和59年、大西良慶の宿願であった観音信仰の道場・国際交流の殿堂として建立。
宝蔵殿 - 国重要文化財が収蔵されている。通常非公開。
錦雲渓 - 本堂崖下の音羽川流域の渓谷。境内には約1,000本の楓があり紅葉の名所。高雄の紅葉に比せられ「新高雄」とも称せられる。
基準点標石 - 仁王門の後ろに立つ測量の基準点。明治8年、内務省地理寮(後の地理局)により、英国の測量技術が導入され、京都市市街地図を作成するために設置された。
千体石仏群 - 成就院参道の右手にある。明治の廃仏毀釈で、捨てるに忍びないと、京都市民から寺に運び込まれたもの。
塔頭
成就院 - 清水寺の旧本坊。東福院の寄進により再興される。月の庭は国の名勝。
泰産寺 - 錦雲渓の対岸に建ち、清水寺が一望できる。洛陽三十三所観音霊所の第十四番札所。「泰産」は「安産」と同じ意味をもち、子授け安産祈願で知られる子安塔がある。
慈心院 - 本堂の随求堂(ずいぐどう)は、1718年の再建。平成18年、解体修理により新しくなった。 随求堂の下を大随求菩薩の胎内に見立てた、胎内めぐりが体感でき、真っ暗の中を、梵字(ハラ)が刻まれた随求石を廻して深く祈る。
宝性院 - 三職(執行:宝性院、目代:慈心院、本願:成就院)の僧坊の一つ。

行事

1/1~1/7
修正会 - 無病息災を念じて、額に朱印を押す「牛玉宝印」、「御香水」が授与される。
2月節分
節分会 - 災除けと招福の星供養。
2月15日
涅槃会 - 経堂にて法要が行われ、釈迦の臨終の様子を描いた涅槃図が掲げられる。
夜の特別拝観 - 桜の時期は桜がライトアップされる。
成就院庭園特別公開
3月5日
玄奘三蔵会 - 「西遊記」で知られる玄奘三蔵師の忌日法要。
3/15~3/17
青龍会 - 荘厳な装束に身を包んだ一行と四神のひとつ青龍が境内と門前町を練り歩く。
4月3日
青龍会 - 荘厳な装束に身を包んだ一行と四神のひとつ青龍が境内と門前町を練り歩く。
4月8日
降誕会(花まつり) - お釈迦さまの誕生日。
5月23日
開山忌 - 延鎮坂上田村麻呂の年忌法要。大茶碗による茶礼を招待制で行う。
8/1~8/5
うら盆法話 - 早朝6時より大講堂の円通殿で開催。
8/14~8/16
千日詣り - 一日参ると千日分の観音様のご利益があるといわれる功徳日。本堂の内々陣で献灯ができる、夜の特別拝観もある。
8月23日
地蔵盆会 - 百体地蔵堂の法要。
9/15~9/17
青龍会 - 荘厳な装束に身を包んだ一行と四神のひとつ青龍が境内と門前町を練り歩く。
11月13日
慈恩会 - 北法相宗祖 慈恩の忌日法要。
11月16日
落葉忌 - 成就院住職 月照、信海の忌日法要。月照は「安政の大獄」によって九州に下り、西郷隆盛と共に薩摩湾に入水入滅した。
成就院庭園特別公開
夜の特別拝観 - 紅葉がライトアップされる。
12月12日
漢字の日 - 日本漢字能力検定協会主催で「今年の漢字」が選ばれる。
12月31日
除夜の鐘 - 鐘撞きは予約制。

歴史

778年
興福寺の僧 延鎮が、夢のお告げで霊泉を訪ね、音羽山に辿り着き、この地で百年以上も滝行を行い、千手観音を念じ続けている行叡がいて、延鎮に後を任して東国へ去っていった。延鎮が、残された霊木に観音像を刻み、草庵に安置したのが由来と伝わる。
780年
坂上田村麻呂が、妻の病気平癒のために鹿狩りをしていると、延鎮に出会い、殺生を戒められた。坂上田村麻呂は、千手観音を造り、自邸を本堂として寄進したといわれる。
798年
征夷大将軍となった坂上田村麻呂は、延鎮と協力して本堂を改築し、千手観音の脇侍として地蔵菩薩と毘沙門天像を造り祀った。
805年
坂上田村麻呂が寺地を賜った。
810年
嵯峨天皇から宸筆を賜って鎮護国家の道場となり、「北観音寺」と号した。
1063年
火災で焼失。
1165年
南都の興福寺に属していたため、延暦寺の僧兵の乱入によって焼亡。
応仁の乱
兵火で全焼。
1633年
現在の本堂が、徳川家光の寄進により再建。他の諸堂もこの前後に再建された。
大正3年
興福寺住職・法相宗管長 大西良慶(中興の祖と称される)が住職に就任。
昭和40年
北法相宗に改宗。

撮影後記

 金閣寺と双璧をなす京都観光のランドマーク的存在ですね。 このお寺さんは、なんと朝の6時から拝観できるのが特筆すべき点です。 日中は、修学旅行の学生さんや多くの参拝客でにぎわいますが、早朝の境内は、空気も張りつめ静寂で清水寺を独り占めできるというか満喫できます。 そして、この時間なら長蛇の列ができる音羽の滝もすぐ飲めます。 京都観光が初めての方は、早起きして一日の初めは清水寺からがオススメですよ。

更新履歴

2010年10月15日
初版をアップロードしました。
2011年1月24日
ギャラリーに作品を6点追加しました。
2011年2月9日
ギャラリーに作品を2点追加しました。
2012年2月11日
「清水寺について」を加筆修正しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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