養源院

血天井

浄土真宗遣迎院派の古刹。淀殿が浅井長政の供養のため創建され、後に徳川家の菩提所となった。本堂は伏見城の殿舎を移築したものとされ、伏見城攻防戦で自刃した血天井が知られている。ヤマモモと紅葉が美しい。

養源院

養源院について

撮影後記

 普段は静かなお寺で、三十三間堂の隣に位置しているので、ついでに寄っていく修学旅行生をよく見かけます。 ただ、2011年は大河ドラマの江ゆかりのお寺ということもあり、多少様相は違うようですが。
 京の晩秋の紅葉を求めるなら、隣の智積院とともに訪問してみてはいかがでしょうか。 本堂の中は撮影禁止なので撮影できませんが、俵屋宗達の障壁画が間近で見れたり、有名な血天井があります。 お寺の方も親切で、紅葉も美しいのでオススメです。

歴史・概要

浄土真宗遣迎院派の寺院。 本尊は、阿弥陀如来。 養源院の寺名は浅井長政の院号から採られた。 1594年、豊臣秀吉側室の淀殿が父である浅井長政の供養のため、秀吉に願って成伯法印(長政の従弟で比叡山の僧)を開山として創建された。 1619年、火災により焼失。 1621年、徳川秀忠正室の崇源院の願により再興された。 以後、徳川家の菩提所となった。 本堂は、破却された伏見城の殿舎を移築したものとされ、俵屋宗達の襖12面、杉戸8面で飾られている。 左右と正面の廊下の天井は、伏見城攻防戦で鳥居元忠以下800人が最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、血天井として知られている。

住所: 京都府 京都市東山区三十三間堂廻り町656

更新履歴

2010年9月3日
初版をアップロードしました。
2011年5月30日
ギャラリーに作品を5点追加しました。
2011年8月29日
登録カテゴリを祇園・東山から洛東に移動しました。
2011年11月7日
登録カテゴリを洛東から祇園・東山に戻しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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