宝塔寺

七面山

深草にある日蓮宗寺院で、七面山の山頂まで30余棟の堂塔が立ち並ぶ大寺院。平安時代に藤原基経が創建し、1307年に住持の良桂が日像に帰依して改宗された。本堂、多宝塔、総門は、国の重要文化財に指定されている。

宝塔寺

宝塔寺について

基本情報

山号寺号
深草山宝塔寺(じんそうざんほうとうじ)
別称
七面山
宗派
日蓮宗
創建
848年~851年(嘉祥年間)
開山
日像
開基
藤原基経
本尊
三宝尊
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京阪深草駅徒歩10分、JR稲荷駅徒歩10分
住所
京都府京都市伏見区深草宝塔寺山町32

概要

深草にある日蓮宗寺院で、30余棟の堂塔が立ち並ぶ大寺院。 平安時代はじめ、関白 藤原基経が発願し藤原時平が大成した真言宗極楽寺が起源と伝わる。 1307年、住持の良桂が、日蓮の法孫 日像に帰依して、日蓮宗に改宗された。 その後、日像が妙顕寺で死去し、遺言により極楽寺で荼毘に付され、「宝塔寺」と改号された。 日像が京の七口に建てた法華題目の石塔婆の一つを、当寺の日像廟所に奉祀したことに因む。 本堂、多宝塔、四脚門(総門)は、国の重要文化財に指定されている。 本堂背後の七面山(しちめんさん)には、江戸時代に法華保護の吉祥天である七面大明神が勧請された鏡守社がある。

見所

国重要文化財
本堂 - 1608年の建立で、日蓮宗本堂としては府内最古。方広寺大仏殿の余材を使用して建てられた。
多宝塔 - 1438年以前の室町時代の建築で、京都市内最古の多宝塔。先細りの丸瓦を細い方を上にして重ねながら下から上へ葺いていく行基葺。
総門 - 室町時代中期の四脚門。
観光名所
仁王門 - 1711年の再建。天井板に250枚の牡丹の天井画が描かれている。
昭宣堂 - 昭和16年の創建。開基の藤原基経を祀る。
伽藍石 - 平安時代に創建された極楽寺の礎石といわれる。
荼毘處 - 妙顕寺で死去した日像上人が、遺言により荼毘に付された処。
藤裏葉の苑の碑 - 極楽寺は、源氏物語33帖「藤ノ裏葉」に記されている。
七面宮 - 背後の七面山にある鏡守社で、1666年、法華保護の吉祥天である七面大明神が勧請された。
日像上人廟 - 墓石は自筆の題目笠塔婆。
墓所 - 本山妙顕寺の歴代廟所、三宅寄斉(儒学者)、山本亡羊(薬草学)、宮本伊織(宮本武蔵の養子)、下村一族(大丸百貨店)らの墓。
塔頭 - 慈雲院(玉泉院)、霊光寺、直勝寺、大雲寺、圓妙院、自徳院、院跡石碑(深信院、本久院、了性院)。

歴史

848年~851年
嘉祥年間、関白 藤原基経が創建した真言宗極楽寺が起源。
899年
藤原基経の長男 藤原時平により七堂伽藍の大寺となった。
1307年
日蓮の法孫 日像が洛外に追放され、住持の良桂と宗論を行い論し、良桂は日像に帰依した。極楽寺を法華道場に改め、日像を開山とし、自らは二世となった。
1342年
日像が妙顕寺で死去し、遺言により極楽寺で荼毘に付され、「宝塔寺」と改号された。
応仁の乱
兵火で荒廃した。
1590年
妙顕寺の日尭の弟子である日銀によって復興された。

撮影後記

 深草にある妙顕寺を本山とする日蓮宗の大寺院です。 総門から仁王門までの参道の両側に塔頭が建ち並び、七面山の中腹から山頂までにも堂塔が建っています。 境内自由ですが、本坊の方丈は公開していません。 衛星画像で上空から方丈や客殿を覗き見してみたところ、重厚な雰囲気がします。 江戸時代の重文本堂は、日蓮宗の典型的な七間堂で、平成14年に解体修理されました。 他に、惣門と多宝塔も重文指定を受けています。 境内自由で三つも重文伽藍を見学でき、おまけに観光寺院でもないのがいいですね。

更新履歴

2013年1月17日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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