京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
真言宗泉涌寺の塔頭。 弘法大師空海が、唐で感得した荒神像を奉安して開創したとされる。 1218年、泉涌寺子院となり、後に泉涌寺の別当にもなった。 高所に建つ広幅殿荒神堂には、わが国最古の重文の木造荒神坐像(鎌倉時代作)が安置されている。 安産の神としても信仰され、古くは皇后宮の安産祈願所であった。 赤穂退去後の大石良雄(大石内蔵助)は、外戚にあたる来迎院長老を頼り檀家となり、書院や茶室を建立し、元赤穂藩同志と密議を重ねたといわれる。
泉涌寺本坊北側の深山幽谷の地に、ひっそりと隠れるように伽藍を構えています。 忠臣蔵の大石内蔵助が討ち入り前に身を寄せていたことで、大石良雄の肖像や大石良雄遺愛の茶釜など赤穂義士に関する遺品が寺宝として残されています。 赤穂城明け渡しの後、山科の岩屋寺の場所に隠棲したことになっていますが、実際には来迎院で多くの時間を過ごしたそうです。 山科の浪居から京の同士たちと密議を交わすために、茶会の名目で隠居したのでしょう。
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