日向大神宮

京の伊勢

粟田口近くにある式内社で、伊勢神宮とはゆかり深く、「京の伊勢」として、伊勢への代参や、お蔭参りの安全祈願も行われていた。顕宗天皇御代に、筑紫日向の高千穂の峰の神蹟より神霊を移して創建されたと伝わる。

日向大神宮

日向大神宮について

基本情報

社名
日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)
別称
日向宮、日向神宮、日岡神明宮、粟田口神明宮
創建
伝 487年頃(顕宗天皇三年頃)
主祭神
内宮 - 天照大御神、多紀理毘賣命、市寸島比賣命、多岐都比賣命
外宮 - 天津彦火瓊々杵尊、天之御中主神
旧社格
式内社、村社
例祭
10月16日(外宮)、10月17日(内宮)
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
地下鉄蹴上駅徒歩15分
住所
京都府京都市山科区日ノ岡一切経谷町29
サイト
日向大神宮

概要

山科区の神明山中腹にある延喜式内社。 一の鳥居は三条通粟田口に面し、東海道を往来する旅人で賑わった。 殊に伊勢神宮とはゆかり深く、「京の伊勢」として、伊勢への代参や、お蔭参りの安全祈願も行われていた。 社伝によれば、顕宗天皇(けんぞうてんのう)御代に、筑紫日向の高千穂の峰の神蹟より神霊を移して創建されたと伝わる。 内宮外宮が奉斎され、江戸時代後期の市内では数少ない神明造本殿である。

見所

市文化財
内宮本殿 附 御門 - 江戸時代後期の市内では数少ない神明造本殿で、市の文化財に登録されている。「上ノ本宮」ともいわれ、境内最奥に南面して建つ。
外宮本殿 附 御門 - 江戸時代後期の市内では数少ない神明造本殿で、市の文化財に登録されている。「下ノ本宮」ともいわれ、内宮前方に建つ。
観光名所
拝殿(舞殿) - 内宮例祭では「人長の舞」が奉納される。
朝日泉 - 貞観年間(859年~877年)疫病が流行したとき神告があり、清和天皇の勅願により、この霊水を万民に与えたところ疫病が治まったといわれる。
影向岩 - 内宮前の左手付近にある磐座。
上ノ別宮 - 荒祭宮(内宮御門内に祀られている)
下ノ別宮 - 多賀神社、春日神社、五行神社。
別宮 - 福土神社。
末社 - 恵美須社、天鈿女社、戸隠社(洞窟をくぐり抜けると御利益があるとされる)、御井社、猿田彦社、神田稲荷社、朝日天満宮、厳嶋社。

祭事

1月1日
若水祭 - 正月三が日に若水が参拝者に授与される。
2月3日
節分祭 - 裏山の天の岩戸をくぐり抜け御利益を賜る「ぬけ参り」が行われる。
10月16日
外宮例祭
10月17日
内宮例祭(神嘗祭) - 新穀の大御饌が献ぜら、「人長の舞」が奉納される。

歴史

487年
顕宗天皇(けんぞうてんのう)御代に、筑紫日向の高千穂の峰の神蹟より神霊を移して創建されたと伝わる。
668年~672年
天智天皇が神田を寄進され、鎮座の山を「日御山(ひのみやま)」と名付けさたと伝わる。
858年~876年
清和天皇の勅願によって、天照大御神を粟田山に勧請し創建されたとも伝わる。
平安時代中期
延喜式により官幣小社に列された。
応仁の乱
兵火で焼失したが、松坂村の松井藤左衛門によって仮宮が造営され、再興が行われた。
1586~1611年
後陽成天皇により、内宮と外宮の御宸筆の額を賜った。
1614年
徳川家康により、社殿の改造が行われた。
1624~1644年
寛永年間、伊勢の野呂左衛門宗光により再興された。
1809年
外宮遷宮が行われた。
1810年
内宮遷宮が行われた。

撮影後記

 東山三十六峯の神明山中腹の山深い地にひっそりと鎮座している神社です。 本宮は山科区に位置していますが、一の鳥居は蹴上駅付近の三条通に面して立っており、今では考えられませんが、かつては東海道を往来する旅人達で賑わったそうです。 旧東海道は五条通の国道1号線のルートではなく、三条大橋が起点で蹴上を経由して山科に抜けていました。 都から伊勢詣でのお蔭参りの人たちが立ち寄って、旅の安全を願ったのでしょう。 静寂な境内は、鰹木や千木を冠した神明造の本殿や、内宮と外宮に分かれた本殿が、「京の伊勢」らしい往時の面影を今に伝えています。

更新履歴

2013年1月6日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛東から移動しました。

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