平等寺

因幡堂

1003年創建の真言宗の寺で、「因幡堂」と通称される。因幡国へ赴任した橘行平が、霊告により海中より薬師如来を引き上げ、京の自邸にその因幡薬師を祀り創建した。本尊薬師如来像(重文)は、日本三如来のひとつ。

平等寺

平等寺について

基本情報

山号寺号
福聚山平等寺(ふくじゅざんびょうどうじ)
別称
因幡堂、因幡薬師
宗派
真言宗智山派
創建
1003年(長保五年)
開基
橘行平
本尊
薬師如来
札所
洛陽三十三所観音霊場27番、京都十三仏霊場7番、京都十二薬師霊場1番
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
烏丸松原バス停徒歩2分、地下鉄四条駅徒歩5分、阪急烏丸駅徒歩5分
住所
京都府京都市下京区因幡堂町728
サイト
因幡堂平等寺

概要

真言宗智山派の寺で、「因幡堂」「因幡薬師」と通称されている。 因幡国(鳥取県東部)へ赴任した中納言 橘行平が、霊告により海中より薬師如来を引き上げて一宇を建立し、1003年(長保5年)高辻烏丸南東の自邸に因幡国に安置していた薬師如来を祀り「因幡堂」と名付け創建された。 「因幡薬師」と称される本尊木造薬師如来立像(重文)は、日本三如来のひとつで、行平の病気が平癒した霊験譚で平安京の人々に広く親しまれ、狂言「因幡堂」など複数の狂言で舞台として登場する。 平等寺の寺号は、高倉天皇によって下賜されたものである。

見所

国重要文化財
木造薬師如来立像 - 「因幡薬師」と称される本尊で、日本三如来のひとつ(他は清凉寺の釈迦如来、善光寺の阿弥陀如来)。癌封じの霊験があり、京都十三仏霊場第7番。
木造釈迦如来立像 - 建保元年(1213年)の作。清凉寺の釈迦如来像を摸刻した清凉寺式。
木造如意輪観音坐像 - 鎌倉時代の作。
観光名所
本堂 - 明治19年の再建。外陣潜り右脇に弘法大師像、地蔵菩像薩、外陣潜り左脇に弁財天像、毘沙門天像、大黒天坐像を安置する。
観音堂 - 十一面観音菩薩は、かつて北野天満宮に安置され、東寺の観智院を経て遷された。洛陽三十三観音巡礼27番。
聖天堂 - 大聖歓喜天を祀る。
地蔵堂 - 地蔵菩薩を祀る。

行事

1月1日
初詣・元朝護摩 - 護摩法要。甘酒接待。
1月8日
初薬師 - 年初縁日の因幡薬師手づくり市。
2月3日
節分 - 北斗護摩法要。
4月8日
花祭り - 甘茶接待。
6月末~7月中旬
千日回峰の京都大廻り - 比叡山千日回峰中の阿闍梨が当寺に立ち寄る。
8月23日
地蔵盆 - 因幡堂町の子供による数珠回し。
9月彼岸
神佛御璽祭 - 神仏分離以前の風習を石清水八幡と共同で執行する。鎌倉時代に当山本尊薬師如来と、石清水八幡を同じものとする考えがあった。
11月6日
狂言会 - 狂言上演。「因幡堂」「鬼瓦」など複数の狂言で舞台として登場し、浄瑠璃の発祥の地という説がある。

歴史

997年
因幡国へ赴任した橘行平が、霊告により海中より薬師如来を引き上げて一宇を建立したと伝わる。
1003年
橘行平が自邸に因幡国に安置していた薬師如来を祀り創建された。
平安時代
一条天皇が勅願所としたが、度重なる火災で焼失再建を繰り返した。
1171年
高倉天皇より「平等寺」の寺号を下賜された。
1246~1248年
焼失した。
1284年
一遍が住し時宗布教の起点にしたと伝わる。
1391年
焼失した。
室町時代
天台宗寺門派総本山三井寺から、寺門派大本山聖護院の末寺になった。
江戸時代中期
天台宗と真言宗の兼学であった。
1864年
禁門の変で類焼した。
明治維新
廃仏毀釈により荒廃し、堂宇の殆どを焼失した。
明治19年
現本堂が再建された。

撮影後記

 寺号よりも御堂の名前で通称される六角堂(頂法寺)や革堂(行願寺)と同じく、町衆の信仰を集めた代表的な町堂です。 六角堂や革堂に倣って「因幡堂」の方でリストに掲載しました。
 また京都駅から伸びる南北通「不明門通(あけずどおり)」の由来にもなっています。 高倉天皇が因幡堂のすぐ南に「東五条院」を営んでいたため、遠慮して南門を常に開けなかったためです。 京都に無数ある通り名や町名は、それぞれ歴史がありますね。

更新履歴

2015年9月26日
初版をアップロードしました。

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