白沙村荘

橋本関雪記念館

日本画家の橋本関雪が全て築造した国の名勝庭園。関雪が没するまでの30年間、本邸を継続的に手を加えて作庭したものである。敷地面積は1万㎡で、大画室・茶室・持仏堂・石造物や美術館やレストランが配置されている。

白沙村荘

白沙村荘について

基本情報

名称
白沙村荘(はくさそんそう)
別称
橋本関雪記念館
指定
国名勝(白沙村荘庭園)
駐車場
有料駐車場あり
交通機関
銀閣寺前バス停すぐ
所在地
京都府京都市左京区浄土寺石橋町37
サイト
白沙村荘橋本関雪記念館

概要

日本画家、橋本関雪(1883年~1945年)が全て築造した大文字山を借景とした池泉回遊式庭園で、国の名勝に指定されている。 橋本関雪が没するまで30年間にわたり本邸を継続的に手を加えて作庭したものである。 白沙村荘橋本関雪記念館として一般公開されている。 総敷地面積は10,000㎡で、大画室・茶室・持仏堂・石造物や美術館やレストランが配置されている。

見所

国名勝
庭園 - 大文字山を借景とした池泉回遊式庭園で、歴史的価値を有する石造物180点が配置されている。橋本関雪が30年間にわたり継続的に手を加えて作庭した。夕佳門を境に東西の地割で分けられる。
主屋 - 書斎、居間、客間、中庭などを内包する書院造の母屋。
存古楼 - 大正5年の建築。広さ52畳の板敷で、屏風の制作を行っていた画室。二階の特別室からは、大文字山を展望できる。
問魚亭(如舫亭) - 大正時代の建築で、昭和7年に茶室部分が造営された。画稿を考案する際に使われていた草庵。
憩寂庵 - 平成24年の再建。昭和7年頃の建築は平成21年に焼失。高台寺圓徳院写しの茶室。
倚翠亭 - 平成24年の再建。昭和7年頃の建築は平成21年に焼失。妻ヨネのために建てた茶室。
持仏堂 - 木造地蔵尊立像を安置。
国東塔 - 別府に置かれていた静御前の供養塔を、橋本関雪が京都まで運んできた。鎌倉時代の作といわれる。
国重要文化財
木造地蔵尊立像 - 庭園の持仏堂に安置。
国登録文化財
レストランNOANOA - 昭和4年に西洋美術のコレクションハウスとして造営したイベリア様式の洋館を改装した。
観光名所
美術館 - 平成26年に開館した。1階では橋本関雪の作品、資料、蒐集品を展示。展望テラスを備えた2階は企画展。

歴史

大正3年頃
関雪が浄土寺の田園地帯を購入し、田園を埋め立て造営が始まった。
大正5年
関雪が白沙村荘に移り住み、作庭が始まった。
昭和7年
妻ヨネの告別式が白沙村荘で行われた。
昭和20年
関雪が白沙村荘で亡くなった。
昭和58年
庭園の一般公開が始まった。
平成15年
庭園が国の名勝に指定された。
平成21年
茶室「倚翠亭」「憩寂庵」が焼失した。
平成24年
茶室「倚翠亭」「憩寂庵」が再建された。
平成26年
美術館が開館した。

撮影後記

 平成21年に茶室「倚翠亭」「憩寂庵」が全焼したこともあり、再建して落ち着いたら訪れようかと思って先延ばししていました。 二軒同時ということは放火も疑われましたが、老朽化による漏電が原因とのことでした。 平成10年にも母屋の調理場付近より失火し延焼したそうで、関雪さんもあの世で気を揉んでいることでしょう。

更新履歴

2014年12月12日
初版をアップロードしました。

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