長法寺

釈迦金棺出現図模写

延喜年間(901年~923年)創建の天台宗延暦寺の末寺。平安時代の仏画の二大傑作のひとつ国宝「釈迦金棺出現図」は、かつて当寺が所蔵していたもので模写が残る。平安時代に興隆していたことがうかがえる。

長法寺

長法寺について

基本情報

山号寺号
清巌山長法寺(せいがんざんちょうほうじ)
宗派
天台宗延暦寺派
創建
901年~923年(延喜年間)
開山
千観
本尊
十一面観音
札所
洛西観音霊場 9番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
長法寺バス停徒歩5分
住所
京都府長岡京市長法寺谷田16

概要

西山長法寺山の中腹に伽藍を構える天台宗延暦寺の末寺。 延喜年間(901年~923年)、園城寺で修行した千観僧都が、観世音菩薩の霊験によって、この地に一堂を建立したのが始まりと伝わる。 京都国立博物館収蔵の国宝「釈迦金棺出現図」は、昭和31年まで当寺が所蔵していたもので、大正時代の模写が残っている。 かつて七堂伽藍を整備したと伝えられ、平安時代の仏画の二大傑作のひとつを所蔵していたことからも、平安時代に興隆していたことがうかがえる。

見所

市文化財
三重石塔 - 鎌倉時代作の千観の供養塔。
宝篋印塔 - 南北朝時代の作。
観光名所
本堂 - 平成2年の再建。本尊十一面観音坐像は室町時代後期作。
朧泉(おぼろのいずみ) - 境内西北隅の巌窟から湧く泉で、創建時より涸れていない。

歴史

901年~923年
延喜年間、園城寺で修行した千観僧都が、観世音菩薩の霊験によって、この地に一堂を建立したのが始まりと伝わる。
962年
延暦寺正覚院の末寺になったという。
平安時代
祈雨の霊験により造営を加え、七堂伽藍を整備し、最盛期には十二院を誇ったと伝わる。
応仁の乱
兵火で消失。
1705年
「山城名勝志」によれば、荒廃していた。
昭和53年
洛西観音霊場めぐりが再興された。
平成2年
本堂や庫裏が再建され、復興した。

撮影後記

 紅葉で名高い粟生光明寺の南に位置する寺院です。 錦秋の時期でも、光明寺の混雑とは打って変わって静かな境内でした。
 本堂工事の際には、本堂の場所から平安時代の礎石が発見されたそうで、平安時代には七堂伽藍兼備の名刹で、少し離れた場所に長法寺小学校など字名が今に残っています。 また、水とも繋がりがあって、山号の清巌山(せいがんざん)は、開基の千観上人が、今も境内に湧き出る「朧泉(おぼろのいずみ) 」から名付け、祈雨の霊験があったそうです。

更新履歴

2013年6月19日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

長法寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野