霊山正法寺

京都市街を一望

霊山中腹にある時宗の寺で、客殿からは京都市街が眼下に西山を一望できる。最澄が開創し、1383年に国阿が時宗に改宗した。知る人ぞ知る夕日の名所で、極楽往生を祈願して夕日を拝む仏行「日想観」が行われている。

正法寺

霊山正法寺について

基本情報

山号寺号
霊山正法寺(りょうぜんしょうほうじ)
別称
霊鷲山(りょうじゅせん)、鷲の尾寺
宗派
時宗
寺格
旧時宗霊山派本寺(近世)、旧時宗大本山(近代)
創建
782年~806年(延暦年間)
開山
最澄(伝教大師)
開基
国阿 - 時宗国阿派(霊山派)祖。
本尊
釈迦如来
札所
洛陽四十八願所地蔵めぐり 第40番身代地蔵
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
東山安井バス停徒歩10分
住所
京都府京都市東山区清閑寺霊山町35

概要

霊山中腹にある時宗の寺で、客殿からは京都市街が眼下に西山を一望できる。 延暦年間(782年~806年)最澄が天台宗寺院「霊山寺」を開創したのが始まりと伝わる。 鎌倉時代初期には法然が別時念仏を修したという。 1383年(永徳三年)時宗僧 国阿が「正法寺」と改号し、時宗霊山派の本山とした。 江戸時代には14の塔頭が建ち興隆したが、廃仏毀釈と明治25年の火災で、現在は本堂と客殿が残るのみである。 また、知る人ぞ知る夕日の名所で、江戸時代初期まで極楽往生を祈願して夕日を拝む仏行「日想観」が行われていた。

見所

観光名所
本堂 - 明治25年の火災で焼失を免れた開山堂(歯仏阿弥陀堂)が本堂となった。室町時代作の本尊寝釈迦像、平安時代作の阿弥陀三尊像、地蔵菩薩像などを安置。他に廃寺となった子院の遺仏を多数奉安している。
客殿 - 6月の「夕陽を観る会」、10月の「夕日念仏の声明」では、座敷から京都市街が一望できる。江戸時代初期まで極楽往生を祈願して夕日を拝む仏行「日想観」が行われていた。
墓地 - 応永十二年(1405年)の示寂年が刻まれた国阿上人板碑、品川弥二郎の墓がある。

歴史

782年~806年
延暦年間、最澄が天台宗寺院「霊山寺」を開創したと伝わる。
889年~898年
寛平年間、光孝天皇の勅願所となった。
1204~1206年
元久年間、法然が霊山寺で別時念仏を修した。
鎌倉時代
荒廃した。
1383年
国阿が「正法寺」と改めて、時宗霊山派の本山として再興した。
室町時代
後小松天皇や足利義満の帰依を得て興隆した。
応仁の乱
兵火で荒廃した。
1532~1535年
天文の乱の兵火で荒廃した。
1573~1592年
天正年間、諸堂が再建された。
江戸時代
14の塔頭が建ち興隆した。
明治維新
廃仏毀釈で塔頭二院残して廃され、境内地の多くが上知された。
明治25年
本堂など諸堂を焼失した。

撮影後記

 正法寺をアップするのは、これで三カ所目になります。 この付近は霊山(りょうぜん)といわれ、紛らわしいので「霊山正法寺」で紹介することにします。
 江戸時代には14の塔頭寺院が建ち並び、全国に末寺42を有する大寺であったそうです。 眺望が利いたことから遊所ともなり、僧坊では料理を供したといわれます。

更新履歴

2015年10月29日
初版をアップロードしました。

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